事務所だより
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2010年8月 残暑お見舞い申し上げます
2010.09.01
残暑お見舞い申し上げます
2010年8月

弁護士 大 脇 美 保
弁護士 久 米 弘 子 : 古紙のリサイクル工場を見学して
弁護士 塩 見 卓 也 : 「試用期間」と「新卒切り」問題
弁護士 武 田 真 由
弁護士 中 島    晃 : 動物の権利−イルカの保護について
弁護士 中 村 和 雄 : 労働審判制度開始から五年
弁護士 諸 富    健 : 改正貸金業法が完全施行されました
弁護士 吉 田 容 子 : 「ハーグ連れ去り条約」って何?
事務局一同


古紙のリサイクル工場を見学して
弁護士 久 米 弘 子

1.3年余前から京都弁護士会のKESプロジェクトチームの座長というのを務めています。KESというのは環境マネージメントシステムの一つです。京都弁護士会ではその認証システムを取り入れて弁護士会活動の環境負荷の軽減に意識的に取り組んできました。
  手はじめに、会館の電気・ガス・水道などのこまめな節約を訴える活動をしたところ、初年度はびっくりするぐらいの成果が上り、その後も続いています。エアコンについて夏場は27℃、冬場は22℃の設定を呼びかけただけで、ガスと電気の利用量がずい分減ったのです。又、使用量の多い紙の減量とリサイクル、グリーン製品の購入もすすめてきました。

2.先日、このプロジェクトチームで、泉南の古紙リサイクル工場の見学に行きました。
  コピー用紙を集めて、水で融解し、トイレットペーパーに再生している工場です。企業などの大量の機密書類を有料で引きとって融解するのですが、その過程で、バインダーやクリップなどの金属やプラスチックなど紙以外の物を遠心力利用で取り除き、これらは別に固めて、金属は別途利用、プラスチックなどは工場の燃料として再利用していました。無駄に捨てる物は何もないというのに感心しました。もとは機密書類の多い銀行などの企業がお得意先だったそうですが、最近は裁判所や弁護士会も契約するようになっているとか。
  機械化された工場では大きな機械音とかなりの熱さの中で、地元採用という若い社員さん達が働いていました。機械は24時間稼働、社員さんは3交代制とのことでした。
  融解された紙は巻きとられて乾燥され、太いロールになって、そこから巻き直されていくつものトイレットペーパーにつくり上げられていました。見ている間に、私がスーパーや生協で買っている自社ブランドの製品に仕上がっていくのです。
  この日は、大阪の会社で、それ1台でシュレッダーで裁断したコピー用紙を融解してトイレットペーパーに仕上げる機械も見てきました。1台900万円もするので、この4月からまだ4台売れただけとのことでしたが、同じビルの事務所が協力して1台購入すれば自家製トイレットペーパーとして利用できそうでした。

3.京都市が家庭ゴミの分別収集をはじめてから、プラスチックゴミの多さにびっくりしています。食品も日用雑貨も、ほとんどがプラスチック包装です。そして、どの家庭でもプラスチックやカン・ビンなどを分別する努力がずい分されていることは、町内会などの集まりでご近所の話を聞いているとよくわかります。おかげで、京都市が大金をかけてつくった何でも燃やせるゴミ焼却炉は、肝心の燃やすゴミが不足して一部稼働休止になっているそうです。
  他方で、折角分別したプラスチックゴミがどう処理されているのか、よくわからないのは残念です。

4.地球規模の温暖化防止、CO2削減の中心は何といっても大きな企業の努力ですから、小さい団体や個人にできることは効果としてはほんのわずかなものでしょう。それでも、そのささやかな努力の積み重ねが、大きな意識の変革につながり、地球を救う一助になれば、と思っています。
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「試用期間」と「新卒切り」問題
弁護士 塩 見 卓 也

 2008年秋以降、いわゆる「リーマン・ショック」といわれる、アメリカ発の世界同時不況がありました。そのときには、日本でも多くの「派遣切り」「有期雇用切り」といわれた、非正規労働者の大量解雇がありました。そのときに同時に多くの企業で行われた行為で社会問題化したものに、「内定取消」というものもありました。就職活動を行って、採用内定をもらい、学校を卒業後に内定をもらった会社に勤務することが決まっている学生たちが、勤務を開始する前に、その内定を会社から取り消されてしまうという問題です。労働契約は、「採用内定」をもらった時点で成立するというのが今の裁判所の立場でありますし、学説上も定説です。契約が成立しているのですから、一方が勝手に破棄することは違法です。この時期の内定取消も、その多くが違法だったと考えられます。
 「内定取消」の問題は社会問題となり、厚労省も不当な内定取消については企業名を公表するなどの対策措置をとるようになったので、現在では一時より沈静化してきています。代わって最近問題になっているのが、「新卒切り」です。現在の新卒学生の就職難につけ込み、きちんとした採用計画を持たず、多めに採用して気に入らない者を試用期間中に解雇したり退職強要したりするなど、新人を調整弁にする悪質な企業が増えていることが社会問題化してきているのです。実際、私はこのしばらくに試用期間中の解雇の相談を立て続けに4件も聞いており、既に労働審判を申し立てた事例もあります。
 試用期間の法的性質は、試用期間満了時における「留保解約権」の付いた労働契約であるとされます。そして、その留保解約権の行使は、客観的に合理的な理由があり社会通念上相当として是認されうる場合にのみ許されるものであるとするのが最高裁の立場です。つまり、通常の解雇の場合よりは試用期間満了時における本採用拒否は認められやすいとはいえるのですが、だからといって合理的理由のない本採用拒否は許されるものではないのです。
 使用者には、試用期間であれば大した理由がなくても解雇できると誤解している者が多くいます。特に、使用者の中には、「試用期間3か月」と決めていても、その3か月中であればいつでも解雇できるというような誤解をしている者が多いようです。そのような解雇の大半は違法・無効なものと考えられます。「試用期間」の性質は、あくまで「期間満了時点における本採用拒否」の権利が留保されているというものであり、その期間中であればいつでも解雇できるというものではありません。その期間中、新人の仕事への適性をしっかり見た上で、明らかに適性が認められないというような場合に、期間満了時の本採用拒否が認められることがあるというにすぎないものなのです。
 内定取消にしても、試用期間中の解雇にしても、仕方がないとあきらめずに、速やかに弁護士に相談して下さい。
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動物の権利−イルカの保護について
弁護士 中 島   晃

 いま、映画「ザ・コーブ」の上映をめぐって、さまざまな議論がおこっている。
 「ザ・コーブ」は、和歌山県太地町で行われているイルカ漁を題材とした、ドキュメンタリー映画であるが、漁民の同意を得ずに、隠し撮りが行われていることなどを批判して、上映中止を求める運動がおこっている。
 東京などでは上映を計画していた映画館が中止に追い込まれるなど、表現の自由が問題となっている。幸い、京都では、7月上旬から「京都シネマ」が上映に踏み切ったことから、この映画を見ることができる。
 この映画のテーマは、イルカの保護であるが、イルカの問題をめぐっては、京都ではもう一つホットな議論がまきおこっている。それは梅小路公園に水族館を建設するという計画が、現実味を帯びてきたことである。
 京都市長は、今年5月14日、オリックス不動産が申請していた市内下京区の梅小路公園に水族館を設置する計画に許可をあたえた。この水族館計画には、さまざまな問題があるが、最大の問題点は、この水族館のメインがイルカショーにあることである。
 梅小路公園は、建都1200年事業の一環として、平清盛の西八条邸の跡地につくられたものであり、緑地の少ない下京区では、「いのちの森」をコンセプトにした市民の貴重ないこいの場所として親しまれ、広域避難場所にも指定されている。
 この公園にオリックス不動産が国内最大級の内陸型水族館として、年間200万人もの来客を予定した、大規模集客施設をつくることには、計画が発表された当初から、多くの市民から疑問の声があがり、京都市が実施した市民意見の公募では約7割の市民が反対している。
 しかも、オリックス不動産が最近明らかにした水族館構想の具体的中味を見ると、イルカなどの海洋ほ乳類の展示を中心にしている。いいかえれば、イルカショーなどによる大規模な集客を目論んだ、商業施設としての性格が濃厚であり、これによって梅小路公園の機能が大きくそこなわれることになる。このため、6月28日には、京都弁護士会がこの計画の再検討を求める意見書を発表した。
 ユネスコは、1978年の総会で「動物の権利世界宣言」を採択し、89年にこれを改訂しているが、改訂された「動物の権利宣言」第4条では、次のとおり規定されている。
「野生動物は自然な環境のなかで自由に生き、その中で繁殖する権利をもつ。」
「野生動物の自由を長期間奪うこと、娯楽のための狩猟と釣り、そして生命維持に不可欠でない目的の、あらゆる野生動物の利用は、この権利に反する。」
 野生動物であるイルカを長期間にわたって、水族館の水槽にとじこめて、「自然な環境のなかで自由に生き、その中で繁殖する権利」を奪い、人間の娯楽のために利用することは、明らかにユネスコの「動物の権利宣言」第4条に違反するものである。現に水族館のイルカの寿命は、自然界の3分の1になっているといわれている。
 オーストリアやドイツなどでは、民法の改正がなされ、人や物とは別に、新しく「動物」という概念が登場し、人と物とに2分するという従来の法律的思考の根本的な見直しがはかられている。ヨーロッパでは、1世紀半以上にわたって、動物の権利に関する議論が積み重ねられてきている。これに対して、日本では、動物の保護に関する議論が本格的に始まってから、たかだか半世紀にすぎない。イルカショーなどに見られる動物を商業目的に利用するという風潮が強まるなかで、あらためて動物の権利について真剣に議論すべき時期に来ていると思われる。
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労働審判制度開始から五年
弁護士 中 村 和 雄

1 労働審判制度の創設
 2005年4月に開始された労働審判制度が、実施から5年を迎えようとしています。裁判によらずに、個別労働紛争を速やかにそして紛争の実情に即して解決することをめざして新たに全国の裁判所に導入された制度です。京都地裁では第六民事部に設置され二人の審判官(裁判官)と二二人の労働審判員で運用されています。
 この制度は、「司法制度改革」における市民の司法参加手続き拡充の一環として導入が議論されたのですが、労使の対立が激しく導入は頓挫するかに思われました。個別労働紛争が増大する中で、司法における新たな紛争解決制度創設の必要性では一致するものの、労働側はドイツ型の労働参審制の導入を強く主張し、使用者側は労働参審制は時期尚早として労働調停の導入を強く主張していました。こうした中で生まれたのが、両者の折衷とも言える日本型労働審判制度です。労働審判法一条は、「当事者間の権利関係を踏まえつつ事案の実情に即した解決をする」ことを目的とすると規定しています。何とも微妙な表現であり、だからこそ制度運用を巡って、意見対立が絶えないのです。
 もっとも、この制度のこれまでの運用については、裁判所、労・使の弁護士、労使団体とも基本的に概ね肯定的です。

2 労働審判の運用状況と評価
 制度開始の2006年(4月〜12月)の全国の申立件数は877件でした。2007年(1月〜12月)は1494件、2008年(1月〜12月)は2052件と推移し、2009年は11月までで3141件となっています。2009年の正式統計はまだ公開されていないのですがたぶん3500件前後だろうと推測されます。
 京都地裁は、2006年(4月〜12月)は24件、2007年(1月〜12月)は31件、2008年(1月〜12月)は44件と推移し、2009年(1月〜12月)は53件となっています。
 この制度は「迅速」「専門」「柔軟」の3つのキーワードを目標としています。迅速性に関していえば、これまでの全国における労働審判事件の審理期間は、申立から終局日まで平均74日です。申立から第1回期日までは大体30日から40日なので始まれば一月ほどで終了しているということです。労働事件の通常訴訟も従前に比べると審理期間はかなり短くなっているのですが、それでも平均6か月ほどかかることから比べるとかなり迅速に処理されているといえます。
 事件の当事者に聞くと、「審判官や審判員の皆さんに言いたいことは聞いて貰えたし、事件の理解もして貰えたと思う、その中での解決案なので満足ではないが納得している」との声をよく聞きます。私が体験した審判事件においても、労・使の審判員の方が鋭く丁寧に質問をしてくれたり、意見を述べたりしてくれます。円卓を囲んで私たちもフランクに質問したりします。通常の訴訟とはかなり違う運用です。そして、審判員の皆さんが訴訟記録をしっかりと読み込んでいることがわかります。
 京都地裁ではこの制度の開始にあたって弁護士会と裁判所の間で協議を重ね、審判員の皆さんが記録をしっかり読み込んで頂くための工夫をしてきました。陳述書の事前送付や審判員用証拠記録の作成などは東京や大阪では実施されていません。私は大阪地裁のある労働審判事件を担当した際、審判員がまったく事案を理解していないことを痛感しました。審判中も証拠は審判官だけが独占して見ていて審判員は蚊帳の外でした。
 最後に労働審判の解決のありかたについて指摘します。どのような事案が労働審判に相応しいかの議論の裏返しでもあります。職場復帰をあくまで求める解雇事件は労働審判になじみません。正確な残業代全額の支払いを求めるならば労働審判は不適切です。労働審判は、最初に説明したとおり調整的機能をもった制度です。妥協の余地のない場合は訴訟によるべきです。ただ、労働審判は「当事者の権利」を踏まえる必要があります。権利の有無をしっかりと認定することがおろそかにされてはなりません。この点は最近の運用について懸念をもつところです。
 また、正確な統計資料があるわけではないのですが、労働局のあっせんに比べ労働審判における解雇の金銭解決金額は一般的に遙かに高額といえます。しかし、訴訟による和解金額よりは低いのではないでしょうか。手続きの厳格さ長期化と解決水準の高さは連動するようです。当事者の思いにしたがって機関を選択すればいいのであり、当事者の選択の幅が広がった意味は大きいといえます。

3 これから
 労働審判と労働訴訟をあわせると年間7000件ほど全国の裁判所に申立がなされています。まもなく1万件です。それでも、ドイツの労働裁判所60万件、フランスの労働審判所40万件にはほど遠い数字です。労働紛争が多いことは本来好ましいことではないのですが、労働紛争が多発しているのにそれが司法機関できちんと解決されないことはより不幸です。わが国の労働現場の現状をみると、労働審判制度の更なる普及が必要です。事件数の増大に伴って、忙しさのあまり事件処理が粗雑になってきたのではないかとの指摘もあります。裁判所において体制を整備するとともに、労働審判員の供給母体である労・使団体の皆さんのご協力も不可欠です。公正で健全な職場環境の形成のために、皆さんのご支援をお願い致します。
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改正貸金業法が完全施行されました
弁護士 諸 富   健

 数年前から、TVや電車で「払い過ぎたお金を取り戻せます」などと唱った広告を見かけることが多くなりました。なぜお金を取り戻せるのかというと、従来利息の上限を定めた法律が2つ存在したからです。1つは利息制限法で、貸付金額に応じて15%〜20%の利息を上限としています。もう1つは出資法で、利息の上限が29.2%でした。出資法の上限金利を超えると刑事罰が科されるので、貸金業者は(ヤミ金業者を除いて)29.2%を超える利息を定めることはありませんでしたが、その上限に近い25%〜29%の利息を定めることが多くありました。これは利息制限法に違反するのですが、一定の要件を満たすと有効になります。これを「グレーゾーン金利」と呼びます。ところが、最高裁判所がこの要件を厳格に解釈し、債務者に有利な判決を次々と打ち出しました。その結果、利息制限法の金利を超える部分については払い過ぎとなり、その部分は元金に充当されることになります。このように利息制限法に基づいて計算をし直すと、ある時点で元金がゼロになることがあります。しかし、債務者はまだ残債務があると思って払い続けます。その部分が払い過ぎとなるので、貸金業者に対して返金しろと求めることができるのです。
こうして過払金返還請求訴訟が盛んに提起されるようになったのですが、それ以前は、貸金業者が安易にカードを発行し、高金利で過剰な貸付を行っていました。その結果、低所得者層が数社の貸金業者から多額のお金を借り入れて自転車操業に陥り、自己破産者が右肩上がりで増加しました。また、貸金業者による厳しい取立てにより、多数の自殺者を生む事態にまで発展しました。この多重債務問題が社会問題化する中で、「グレーゾーン金利」撤廃の世論が大きく盛り上がり、2006(平成18)年12月に貸金業法が改正されました。この改正貸金業法は、段階的に施行され、今年の6月18日に完全に施行されました。
 改正貸金業法のポイントは大きくいって2つあります。1つは、「グレーゾーン金利」が撤廃されたこと、もう1つは、総量規制が設けられたことです。1つ目の「グレーゾーン金利」撤廃についてですが、出資法の上限金利が20%に下げられました。ほとんどの貸金業者は、貸金業法が改正されて以降、利息制限法の上限以内に金利を下げてきました。2つ目の総量規制とは、貸金業者からの借入残高が年収の3分の1を超えている場合、新規の借入れができなくなるというものです。
 今回の改正は多重債務者が生まれる可能性を減少させるものですから歓迎すべきことです。ただ、すでに多重債務のために自転車操業をしている人は、新規の借入れができないため直ちに返済が滞ります。早くも返済が困難になった方からの相談が寄せられています。もし、多重債務で苦しんでいる方がおられましたら、決してヤミ金に頼らずに、早急に弁護士にご相談下さい。もっとも、CM等で広告をしている法律事務所や司法書士事務所の中には、過払い事件だけを受け付けて多額の報酬を請求するところや、契約締結後は依頼者に何の連絡も方針確認もないまま、貸金業者と交渉を進めて勝手に示談を成立させてしまうところもあります。そのような事務所の宣伝に惑わされることなく,信頼できる事務所・弁護士から納得いくまで説明を受けるようにして下さい。
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「ハーグ連れ去り条約」って何?
弁護士 吉 田 容 子

 「国際的な子の奪取の民事面に関する条約」(いわゆるハーグ連れ去り条約)が話題になっています。最近、米英仏など一部の批准国が強く日本に加入を求め、外務省が加入に向けた検討を始めています。しかし、この条約には以下のような問題があり、安易に加入すべきではないと考えます。

(1)返還をめぐる審理において、子の最善の利益やDV被害の有無が考慮されません。
 条約は、一方親が他方親の了解なく子を連れて国境を越えた場合は、それだけで違法として即時返還を命じることを原則としています。子の返還が子を身体的・精神的な危難にさらすなどの重大な危険が証明された場合など、ごく限られた場合は例外的に返還を免れますが、この例外事由の存在は「連れ去り親」が証明しなければならず、証拠資料の収集は極めて困難ですし、苦労して証明しても裁判官の裁量によって返還が命じられることがあります。また、一方親に対するDVは例外事由になっていません。さらに条約は、返還をめぐる審理において、何が子どもの最善の利益なのかを考慮することを禁止しています(それは返還後に返還先の国の裁判所が審理するとされている)。そのため、他方親がDV加害者や子どもへの性虐待加害者であった場合に子の返還が命じられた事案が存在します。

(2)「連去り親」とされる日本人女性の多くはDV被害者です。
 米英仏などは、自国男性と結婚した日本人女性が子を連れて日本に帰り、男性が子と接触できないと非難します。しかし、そのような女性達の多くはDV被害者であり、相手先国で十分な保護を受けられず、自己ならびに子の生命身体を守るためにやむを得ず帰国したものです。母に対するDVの目撃が子の虐待にあたることも明らかです。そのような母子を元の国に押し返すことは、それ自体、重大な人権侵害です。 また、返還後にどちらが監護者として適格かをあらためて審理するという点についても、法制度・法文化を熟知していない外国人にとって裁判はかなり不利です(DV被害者である日本人女性が米国裁判所で争うケースを想像してみてください)。当該国における経済的基盤もなく、親族や友人の援助も受けられず、在留資格も不安定になりがちです。例えば米国には法律扶助制度がなく、女性達が十分な弁護活動を得られない蓋然性も相当にあります。
条約は形式的には性や国籍・人種などに中立ですが、実際には女性や外国籍の人達に著しく不利なものとなっています。

(3)日本の現在の離婚案件の対処方法と大きく異なっています。
 条約は渉外事案に適用されますが、実は、国内の離婚・子の監護事案の法的取り扱いにも大きな影響を与える可能性があります。
 日本では、現在、DVや虐待の被害者が子を連れて実家やシェルターに避難する例が多く、それは適法であると考えられています。家庭裁判所も、子を連れて避難したこと自体を問題とするのではなく、その経緯や従前の監護状況、子の意思などを中心に慎重な調査を行い、子の最善の利益の理念に基づいて監護に関する判断を行っています。ところがハーグ条約の理念に従うと、事情の如何を問わず「連去り」は原則として違法であり、まず子を元の住居に返還させることが必要ということになります。「連去り」に対する即時返還を有効に実施するために、「連去り」親の逮捕・勾留が必要とされたり、「実家やシェルターに避難すること」自体の犯罪化につながる危険もあります。

(4)子どもの権利条約の趣旨と矛盾します。
 この条約は不法な子の連れ去りから子を保護するものと説明されますが、実際には、残された親の監護権と元いた国の裁判管轄権を確保するための条約です。条約は、いずれの親と暮らすのが「子の最善の利益」であるかの審理を禁止しており、子の最善の利益の実現を旨とする子どもの権利条約と矛盾するものといえます。

(5)条約批准国は主として欧米やオセアニアに限定されています。
 アジア、アフリカ諸国の大半を含め、世界の多数の国は加入していませんし、子どもの権利条約加入国の約半数も加盟していません。「日本だけが加入していない」という指摘は誤りです。

(6)日本がこの条約に加入すべきか否かを、「国際圧力」や「国際協調」の観点で決してはなりません。人権の観点から以上のような問題点を掘り下げ、DV被害者など当事者の意見を十分に聴取したうえで、慎重に検討されるべきです。
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