事務所だより
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2012年1月 寒中お見舞い申し上げます
2012.01.01
寒中お見舞い申し上げます
2012年1月

弁護士 大 脇 美 保
弁護士 久 米 弘 子 : 遺産分割のお話(1)
弁護士 塩 見 卓 也 : 従業員の退職に対する会社による報復的損害賠償請求が棄却
                され、逆に裁量労働制の不適用により会社に未払残業代の支払
                いが命ぜられた事例

弁護士 中 島    晃 : 京都会館建替え問題について
弁護士 中 村 和 雄 : 再び市長選挙に挑戦するにあたって
弁護士 諸 富    健 : 民意を反映する選挙制度を
弁護士 湯 ざ 麻里子 : 改めてよろしくお願いいたします
弁護士 吉 田 容 子 : 親権って何?
弁護士 分 部 り か  : ニューフェイスのごあいさつ
事務局一同


遺産分割のお話(1)
弁護士 久 米 弘 子

 前回は遺言のお話をしました。今回は遺言がない場合の遺産分割のお話をします。
1、遺産分割の協議
 被相続人が亡くなったあと、いつでも遺産分割の協議をすることができます。普通は四九日がすんで、少し落ち着いてから相続人が集まって話し合うことが多いようです。何年も話し合いがされず、次の世代になってやっと話し合いをするという場合もありますが、相続関係が一層複雑になっていたり、遺産の現状が変化していたりしますので、なるべく早く協議した方がよいでしょう。 相続人全員が話し合って合意できれば遺産分割協議書を作ります。どの遺産をどのように処分して、どのように分けるのか、又は誰がどの遺産を相続するのか、などをきちんと記載して、相続人全員の署名と実印による捺印をし、全員の印鑑証明を添付します。この遺産分割協議書があれば、不動産の相続登記や預貯金の解約払戻し、株式の名義変更や売却などの相続手続ができます。 もし、相続人間で遺産分割の協議ができない時は、家庭裁判所の調停を申し立てることになります。この申し立ては相続人の1人から他の相続人全員に対して申し立てることも、意見が同じ何人かの相続人が、意見のちがう他の相続人に対して申し立てることもできます。

2、相続の放棄と相続分の放棄又は譲渡
 いろいろな事情で、自分は相続したくないという相続人は、相続の放棄や相続分の放棄又は譲渡をすることができます。
(1)相続の放棄 相続人は、相続の開始を知った時から3ヶ月以内に、被相続人の最後の住所地を管轄する家庭裁判所に相続放棄の申述をすることができます。相続の開始を知った時とは、被相続人が亡くなった時だけではなく、亡くなった時には知らなかったが亡くなった旨の通知を受けた時や、債権者から相続人ということで請求がきてはじめて亡くなったことを知った時、などがあります。 相続放棄の申述は家庭裁判所に用紙がありますので、被相続人の除籍謄本と相続関係のわかる自分の戸籍謄本等をつけて提出して下さい。家庭裁判所が審理して、受理した旨の通知があれば、はじめから相続人でなかったことになり、資産も負債も相続しません。その分、他の相続人の相続分が増えます。
(2)相続分の放棄又は譲渡
 相続放棄はしなかったけれども、遺産分割で自分の相続分を主張せず0でよいという合意をしたり、又は、自分の相続分を他の相続人に譲渡することができます。 よくある相談の中に、郷里の長兄の依頼を受けたという司法書士さんから、「私は被相続人の生前に既に相続分相当の財産をもらっているので、被相続人の遺産に対して私の相続分を主張しません」とか、「私の相続分がないことを証明します」といった内容の書面が届いて、実印で署名捺印して印鑑証明書と一緒に送付せよ、といわれたが、生前に何ももらっていないので納得できない、というのがあります。 これは、遺産分割協議をすべきところ、それをせずに、相続分放棄という簡便な方法をとろうとしておこりやすいトラブルです。納得できなければきちんと遺産分割の話し合いをしましょう。

3、遺産の分割
 遺産分割は相続分によって分けるのが原則です。但し、被相続人の生前に婚姻、養子縁組のため、あるいは生計の資本として贈与を受けた相続人(特別受益者)や、被相続人の介護や生計の援助などを特別にした相続人の寄与分も具体的な遺産分割を決める時に考慮する事項になります。この点については次回に説明します。




従業員の退職に対する会社による報復的損害賠償請求が棄却され、逆に裁量労働制の不適用により会社に未払残業代の支払いが命ぜられた事例
弁護士 塩 見 卓 也

 「ブラック企業」という言葉があります。一般に、長時間残業させても一切残業代を支払わなかったり、上司が平気で部下に暴力をふるったり、休みを全然取らせてくれなかったり、というようなことがある会社がそう呼ばれます。当然、会社がこのようなことを従業員に対し行うのは、全て違法行為です。
 最近の労働相談では、このような違法行為を従業員に対し働くというだけでなく、そんな違法行為が嫌になって会社を辞めたいと言っても辞めさせてくれない、という事例が増えてきています。私も、にわかには信じられないような酷い「辞めたくても辞めさせてくれない」事件を受任しました。
 その事件との出会いは、ちょうど3年ほど前のことです。労働相談で本人から最初に聞いた話は、「会社を辞めたいけど、会社は、辞めたら私に損害賠償請求すると言っている」「IT系の会社で、毎日朝7時から日付が変わる時間くらいまで働かされていて、身体が限界を超えている」というものでした。私は、「労働者には退職の自由がある。会社で横領とかの犯罪行為をやったとか、よほどのとんでもないミスをしたとかいうような事情があれば別問題だが、退職したこと自体を理由に労働者が損害賠償責任を負うことなどはまず考えられない。『辞める』と言ったときに、辞めて欲しくないから『辞めたら損害賠償請求する』と脅してくる会社は結構あるけど、本当に裁判まで起こしたりする会社は滅多にない。そんなことより、あなたはこのまま働いていたら本当に過労死しかねないのじゃないか。まずは自分の健康のために、きっぱりと退職した方がいい」とアドバイスし、「それでもごくまれに、本当に損害賠償請求の裁判を起こしてくる会社がある。そうなった場合は受けて立たないと仕方がないので、また相談に来て下さい」と言いました。会社にですが、そのときの本人は、「今はとにかく退職さえできたらいい」ということで、こちらから訴訟を起こすという話にはなりませんでした。
 それから半年ほどが経って、その方から私に、「会社が本当に訴えてきました」との電話がありました。そうなると受けて立たざるを得ないので、その方に届いた訴状を持ってきてもらい、被告代理人として受任するための打ち合わせを行いました。
 訴状を見て、唖然としました。その会社は、その方を月間百何十時間も残業させ、健康を損なうまで酷使してきたにもかかわらず、逆に退職したその方に、何と2千万円を超える金額の損害賠償を請求してきたのでした。しかも、その2千万円の損害の内訳は、@その方が課長をしていた部署の 2008年9月以降の売上低下分(2008年9月はいわゆる「リーマン・ショック」のあった時期です)、Aその部署へのてこ入れのために投入した上司の賃金、Bプログラミング業務のノルマ未達分、というものでした。常識的に考えて、これらのどれをとっても、本来経営者が自身のリスクとして負担すべきものばかりで、単なる従業員にすぎない者が負担するいわれのないものばかりです。会社が本気でこんな請求が通ると考えていたのかは定かではないですが、普通に考えれば、「辞めて欲しくなかったのに辞めてしまったことに対する報復」として無茶な請求をしてきたとしか考えられません。
 私は、この手続内で、未払残業代の支払請求や、この会社の訴え自体が濫訴(裁判を受ける権利の濫用)であり不法行為であることを理由とする損害賠償請求の反訴を会社に対し提起しました。
 残業代の関係では、この会社は、形式上は「裁量労働制」というものを採用していました。「裁量労働制」とは、専門性が高い職種で、それに従事する者は通常の場合自分の裁量で労働時間の調整が可能であるという職種に限り、労働基準監督署に1日あたりの労働時間のみなし時間を届け出ることで、実際の労働時間がみなし時間より多かろうと少なかろうと、そのみなし時間の労働時間を働いたものとみなす制度です。労働基準法は、システム・エンジニアの仕事については、届け出れば裁量労働制を採用できるとしているのです。そして、この会社は、システム・エンジニアの業務につき、1日あたり8時間の労働とみなす内容の届けを出していました。そして、それを理由にこの方に対しても、月間百何十時間もの時間外労働をさせておきながら、残業代を一切支払っていなかったのでした。
 この訴訟は2年以上にわたり続き、2011年 10月 31日判決となりました。会社側の2千万円以上の損害賠償請求は全部棄却、こちら側の会社に対する残業代請求は、未払残業代と付加金(残業代の未払につき裁判所が使用者にペナルティーとして別途労働者に対する支払を命ずるもの)を併せて、約 1136万円が認められました。
 この判決の社会的意味は、大きくは2つあると思います。
 一つ目は、最近「辞めたくても辞めさせてくれない」「辞めようとしたら損害賠償請求すると言われた」というような事例が増えている中、そんなことを言い出すブラック企業に対し、「そんな脅しは無駄だ。そんなことをしたら逆に会社が痛い目を見るぞ」ということを明らかにしたという点です。
 二つ目は、「形式上『裁量労働制』を採用していたら、どれだけ長時間働かせても残業代を支払わなくてもよい」と誤解している企業が多い中、「裁量労働制」を採用していても、実際の従業員の就労内容に裁量性が認められなければ、「裁量労働制」の適用も認められないということをはっきりさせた点です。実は、この判決は、裁量労働制の不適用を認めた全国初の判断になります。この判決は、会社が裁量労働制の対象外の仕事も本人に行わせていたこと(厚労省の通達には「プログラミング」業務は「システム・エンジニア」の業務に含まれないことがはっきりと書いてあります)、会社側が自分の請求でも認めているとおり本人にノルマを課していたことなどから、本人のやっていた業務に裁量性は認められないと判断したのです。非常に先例価値の高い判決です。
 残念ながら、この判決では、会社が起こしてきた2千万円もの損害賠償請求訴訟自体が濫訴であるとのこちらの主張は認められませんでした。私の気持ちとしましては、「これを濫訴と言わずして何を濫訴というのか」と思うのですが、国民には憲法上の権利として「裁判を受ける権利」が保障されているので、裁判官も濫訴の判断には躊躇したのだろうと思います。
 不満な点もいろいろあるのですが、会社からここまで酷いことをされた事案で本人の救済を図るという意味でも、理論的に先例価値の高い判決を得たという意味でも、ひとまず満足のできる仕事ができた、と思う事件でした。退職トラブルについても、裁量労働制にしても、ここまで極端な話は珍しいとは思いますが、それでもいろいろ問題を抱えている方もおられると思います。このような先例ができたということを参考にしていただけたらと思います。




京都会館建替え問題について
弁護士 中 島   晃

@京都市は、現在、京都市左京区の岡崎公園を中心とした岡崎地域の活性化をはかるとして、「岡崎地域活性化ビジョン」を策定して、その推進をはかるとともに、「京都会館再整備」に関する基本計画を発表して、京都会館建替えを目論んでいる。
 京都市の計画している「京都会館再整備」というのは、京都会館の現在の高さ 27mを 30mにまで引き上げ、第1ホールはオペラも上演できるような舞台機能をもたせるために建替えをし、第2ホールと会議室は全面改修するというものである。京都会館は、世界的建築家ル・コルビュシェの弟子であり、日本の代表的な建築家である前川國男(1905〜 1986年)の代表作として知られており、その建築的価値は高く評価されているものであって、日本建築学会もその保存を求める要望書を提出している。
 京都工芸繊維大学の松隈洋教授から教えられたことであるが、京都会館は、東山の山並みの景観との調和を重視して、建物の中央に中庭を配置して、東山への眺望を確保するとともに、建物の大庇やバルコニーは水平性を強調して、建物の全体の高さを抑える設計となっている。
 しかも、この会館は、戦後の混乱期を抜けて、ようやく落ち着きを取り戻した 1955年秋に建設が計画され、市民の寄付をもとにして、計画が具体化し、設計コンペによって前川案が選ばれ、建設に着手することになった。こうしたことから、京都会館は、竣工当時日本建築学会賞や建築年鑑賞を受賞しており、また近年では、2000年に関西の代表的な近代建築として「関西のモダニズム建築 20選」に選ばれている。
 このような高い建築的価値を有する近代建物を、行政が自らの手で破壊することが許されるのであろうか。強い疑問をもたざるをえない。
A京都会館再整備にかんして、もう一つ重要な問題がある。それは、京都市が岡崎地域の都市計画の見直しをすすめ、現行の建物の高さ制限 15mを 31mにまで緩和しようとしていることである。
 京都市では、平成 19年3月に新景観政策が誕生し、すぐれた京都の景観を 50年、100年後の未来へと引き継ぐために、市内全域で建物の高さ制限を強化した。こうしたことから、東山の山裾にある岡崎地域の高さ制限について最高でも 15mまでとした。
 ところが、この新景観政策が生まれて4年、まだ舌の根も乾かないうちに、突如として京都会館再整備計画が出されて、京都市は、第1ホールの建替えをするために岡崎地域の高さ制限を 31mにまで引き上げようとしている。これは、景観保全を目的とした新景観政策に明らかに逆行するものというほかない。
 「岡崎地域活性化ビジョン」では、「世界一流のオペラ開催が可能となる舞台機能の強化」をはかるために京都会館の建替えをするといっているが、市民がはたして、こうしたことを望んでいるのであろうか。オペラ開催の話が突如として浮上してきて、そのために邪魔になる新景観政策を投げ捨てる、といったことが許されてよいものだろうか。
 いま、京都市は世界から富裕層を岡崎地域に呼び込んで、市民にとってかけがえのない公園を、商業活動、コマーシャリズムの場に使おうとしている。そのためには、東山の山裾に位置する岡崎の景観を破壊することに何の痛みも感じないという態度をとっている。
 しかし、前川國夫が京都会館を設計するにあたって、建物の高さを抑えたのは、かつてここには岡崎公会堂があり、水平社運動の発祥の地であること、すなわち水平、人々は平等であることを何よりも大切にしたい、そうした思想のあらわれではないだろうか。その岡崎公園で、それに逆行するような無法を許してはならないと考えるのは、私だけではないだろう。




再び市長選挙に挑戦するにあたって
弁護士 中 村 和 雄

 4年前に 951票差という悔しい思いをしました。今度こそ、市政を担当させていただきたいと考えています。みなさんのご支援をよろしくお願い致します。
 私は大学生活を東北の仙台で過ごしました。同級生の多くが大企業に就職していく中で、私は弁護士の道を目指すことを決断しました。苦労して弁護士になった時、水俣病被害者と出会いました。手足の震えなどに苦しみながら行政に救済されず、故郷を離れて関西地方に移住してひっそりと暮らしている方がたくさんいることを知りました。1軒1軒訪ねて回りました。埋もれた弱い立場の人たちの人権を守る活動の大切さを学びました。弁護士として 26年間、弱い立場の人の側に立って活動してきたつもりです。
 昨年の5月に東日本大震災の被災地を回りました。学生時代に訪ねた宮城・岩手の美しい海岸の街が影形もなくなっていました。年老いた女性が廃墟の中で「なんもかもおしめえだ。」と叫んでいた声が耳から離れません。
 9月に再び仙台に行き、仮設住宅を訪問しました。全国からやってきた若者たちが相談活動や買い物支援に取り組んでいました。若者たちとの交流を通じて、被災者のみなさんが今後の生活再建に向けて声を上げるようになっていました。
 6月には福島第一原発 20キロ地点まで調査に行きました。住民が自主避難し、街の商店街は人影がゼロ、ゴーストタウンのようでした。原発で働いていた方たちから、健康保険加入もなしに僅か時給 1000円で命の危険に身をさらして放射線管理区域の作業に従事していたことを聞きました。何重にも形成された偽装請負のもと、凄まじいピンハネがおこなわれていました。行政がそれを知りながら放置していたことも知りました。
 福島から関西に一時避難していた子どもが,公園で「放射線うつる」と言われて仲間はずれにされたと聞きました。お母さんやお父さんは、子どもたちがいつガンになってしまうのかと不安を抱えていました。
 原子力発電所は絶対に廃止しなければと強く思いました。今の市長さんは、脱原発に口を閉ざし、本気で取り組もうとしません。私の大好きな京都、1200年のみやこを破壊させるわけにはいきません。
 京都市内の雇用と経済が落ち込んでいます。市内の事業所数がこの 13年間で 16.4%も減少しました。小売店は、5年間で 1750件も減少しました。京都市の非正規雇用率は 45パーセントに達しています。とくに 20〜 24歳の若者では6割が非正規雇用です。仕事をしたくても仕事がないのに、市長は対策をとろうとしません。仕事を確保し、ワーキングプアをなくす京都市公契約条例をつくって、京都の雇用を立ち直らせます。
 私は市民ウオッチャー・京都の事務局長として、京都市の不正や無駄遣いを追及してきました。いまの京都市長のもと、反対意見を最初から閉め出す「やらせ」をしたり、気に入った教員にだけ個別に手当を出したり、祇園から公用タクシーチケットで帰宅するなど、違法不正があとを絶ちません。裁判所からことごとく断罪されました。今の市長も 7000万円の賠償を命じられました。京都市役所を洗濯しなければなりません。
 みなさんとご一緒に今度こそ市政刷新を実現したいと考えます。ご支援をよろしくお願い致します。




民意を反映する選挙制度を
弁護士 諸 富   健

 現在、衆議院議員の定数は小選挙区 300人、比例代表 180人の合計 480人です。そのうち、小選挙区については、各都道府県に定数1を割り当てる一人別枠方式が採られているのですが、2011年3月 23日の最高裁判決において、この一人別枠方式が投票価値の平等の要求に反し違憲状態にあると判断されました。この判決を受けて、本稿を書いている現在、各党協議会において選挙制度の見直しが議論されています。
 民主党は、投票価値の格差を是正することを優先すべきだとして、まず選挙区割りを見直すよう求めています。そして、その後には比例定数を 80削減して小選挙区中心の選挙制度にすることを狙っています。他の政党はどうかというと、自民党も民主党同様小選挙区中心の制度を狙っていますが(比例 30削減、小選挙区5削減)、その他の政党は比例代表制あるいは中選挙区制を主張しています。そして、共産党と社民党を除いて、定数削減を主張しています。
 まず、民主党と自民党が主張する小選挙区中心の選挙制度ですが、これは死票が多くなり民意と乖離しやすいという大きな欠点があります。小選挙区制は、1994年の政治改革で導入されましたが、以降少数政党が排除されて2大政党制が進みました。例えば、政権交代が実現した 2009年夏の衆議院議員総選挙では、民主・自民の両党併せて比例得票率で約 73%で 90%近くの議席を占めることができたのです。2大政党制の下で、自衛隊の海外派兵が促進され、規制緩和が進んで貧富の差が拡大するなど、到底民意を反映しているとは思えない事態になっています。今になって、小選挙区制導入に中心的な役割を果たした細川護熙元首相や河野洋平元自民党総裁などが、小選挙区制を導入したことによって政治が劣化したと反省の弁を述べています。
 次に、共産党と社民党以外が主張する国会議員の定数削減ですが、その主張の論拠は、震災復興や社会保障改革のために国民に負担をお願いしなければならず、そのためにはまず国会議員が自ら身を切る必要があるというものです。しかし、国会議員というのは国民の代表者であって、国会議員の定数削減というのは、国会議員自身が身を切られるのではなく民意が切られるということではないでしょうか。また、ムダ削減のためにも国会議員を削減する必要があるとも言われますが、定数削減よりも効果が大きい約 320億円にも上る政党助成金の廃止については言及しようとしません。
 国会議員は全国民の代表であり、国権の最高機関である国会を構成します(憲法 43条、41条)。国民の声を政治に届けるためには、民意を反映する選挙制度が必要不可欠です。そして、民意を最も反映する選挙制度が比例代表制です。また、大選挙区制・中選挙区制も民意をおおむね正確に反映します。私が所属する自由法曹団は、比例代表制や大選挙区制・中選挙区制のモデル案を策定しており、それによれば一票の格差を最大 1.039倍あるいは 1.219倍以下に抑えて民意を反映する選挙制度が可能となります。
 比例部分を含む定数削減の公職選挙法改正が、2012年8月にもなされるかもしれないと言われています。選挙制度をめぐる事態は切迫していると言わざるを得ません。いったん比例定数削減が実現されてしまえば、もはや回復困難なほど国民の声が政治に届かなくなり、一層の規制緩和、消費税増税、憲法改正などが一気に実現されるおそれがあります。自由法曹団京都支部では学習会講師の派遣活動を実施しておりますので、地域や各種団体で学習会講師をご希望される場合はお気軽にご連絡下さい。




改めてよろしくお願いいたします
弁護士 湯 ざ 麻里子

 改めてよろしくお願いいたします
 と、変則的なご挨拶となりました。2007年に、市民共同法律事務所を退所し、夫と共に福島県で事務所を開所しましたが、今回、福島第一原発事故が発生したことをうけて、再び、京都に戻って参りました。
 福島の地においては、放射能問題が重くのしかかっています。特に、子ども達に与えた影響は深刻で、一時期は、運動会が体育館で開催されたり、外遊びをする時間も、1日1時間以内に制限される等、異常な状態でした。現在では、学校や公園等で表土を削る等の除染作業が行われて放射線量が随分下がった為、通常通りの生活に戻りつつありますが、未だにこの削り取った土をどこに保管するかが決まっていない状況であり、高度の放射性物質を含む土が仮置き状態になっています。そもそも、子ども達が活動する場所は、公園や運動場だけではありません。子どもというのは、草花を摘んだり、地面を這う虫たちをとったりするのが大好きです。ところが、放射線量は、地表に近いほど高く、また、放射性物質は、アスファルトよりも土に染みこみやすく、草木等の自然がある場所ほどより多く滞留するのです。自然が豊かであればあるほど、放射線量が高いというのはなんとも皮肉で、悲しい話です(そもそも、地球は人間だけのものでないのですから、本当に罪深い話です)。
 原発事故に関する過去の事例はチェルノブイリ原発事故しかありませんが(福島原発事故で拡散した放射性物質はセシウム 137でいうと広島原爆の 168個分ともいわれており、地表に残存する放射性物質の量は全く異なっています)、子どもの甲状腺癌ですら、WHO等により因果関係が認められるのに 20年もの年月を要したように、被曝が与える身体的影響を解明し、さらに、そのことについてコンセンサスを得ることは、科学的にも政治的にも非常に困難なことです。被曝特有の病気というものはなく、癌や白血病、さらには様々な体調不良という形で被曝の影響が現れることに加えて、被曝の障害は晩発性であること(20年、30年、あるいは世代間を超えた単位で考えるべきであるともいわれています)から、他の原因であると説明されてしまえば、被曝の影響は無いものとして扱われます。このようにリスクの解明自体があらゆる意味で困難であり、不明な部分が非常に多いのです。「これくらいの被曝は大したことはない」と公言する専門家もいますが、大したことがないのか、大したことなのか自体が分からないから恐ろしいのです。大人はまだしも、子ども達にこのようなリスクを負わせてよいとは到底思えません。
 関西と福島では、放射能問題についての意識の温度差が随分あるのを感じますが、一度、事故が起きてしまえば、元の放射線量に戻るまでには何十年もかかる可能性が高いです(非常に残念なことですが、全ての土地を完全に除染することは現実的には不可能です)。かつ、その何十年の間に土地が放置されれば荒廃が進みます。また、事故に伴って避難したり、農畜産業や商工業のうけたダメージによって生活設計が変わったりで、人生が大きく狂うことになります。これは、事故の影響をうけた当事者の実感として強くあります。皆さんも、改めて原発の大きなリスクについて、考えてみて頂ければと思います。




親権って何?
弁護士 吉 田 容 子

 「親権」という言葉をご存知ですか。普段は余り関係がないかもしれませんが、未成年の子どもがいるカップルが離婚をするときには、大いに関係してきます。
 でも、「親」の「権利」と書くこの言葉、実はその法律的な内容がよくわかりません(研究者や弁護士などの間でも見解が分かれています)。標準的な民法の教科書をみると、未成熟な子どもを監護養育するための権利義務の総体であるとか、親の権利であり子の権利でもある、などと記載されています。しかし、「権利でもあり義務である」とか「親も子も権利者である」とか、よくわからない説明です。仮に親が権利者だとすると、その権利の名宛人(義務者)は誰なのか、権利の内容は何なのか、親がそのような権利を持つとされる根拠は何か、親同士の意向が食い違う場合の調整はどうするのか、子の意向と食い違う場合の調整はどうするのか等々、わからないことだらけです。
 特にわからないのが、何故、親が権利を持つのか、という点です。しばしば「親が子の成長発達に関わりたいと思うのは自然のことだから」と説明されます。私も、そのような感情を持つことは理解できますし、持ってほしいと思います。しかし、感情と権利義務は区別する必要があります。法律学で「権利」というのは、その名宛人(義務者)に対し、その内容の実現を強制できるものを意味しており、それ故、名宛人(義務者)にはそのような義務を負担するのも仕方がないというだけの何らかの理由が必要です(契約をしたとか、他人を傷つけたとか、とにかく何らかの先行行為があり、それ故義務を負う)。そうだとすれば、仮に親が前記の感情をもつとして、誰がどのような根拠に基づいて、その親の感情を満たすべき義務を負担させられるのでしょうか? 仮に義務者は子どもだとすると、子どもには何らの先行行為もないのですから、子が義務を負う理由はありません(しばしば「親権」の一内容とされる面会交流は、実質的に子どもに親との面会を義務付けています)。仮に義務者は他方親だとすると(親同士が権利者・義務者の関係にたつ)、どのような先行行為があったというのか、これもよくわかりません。
 他方、子が親に対し健全な成長発達の援助を求める権利を持つ、という説明なら、理解できます。親には子供を誕生させたという先行行為があり、従って親はそのような義務を負うべきだということです。「親権」ではなく、「子権」です。そのように考えれば、親は「子権」を守るべき義務を負担し、その限りで「子権」を侵害している第三者がいれば、その者に対して妨害排除請求などができるということになると思います。
 結局、「親権」なる概念は廃止し、「子権」「親義務」「親責任」として再構成すべきということになります。
 この基本的な視点を欠いたまま、「共同親権」という「美しい言葉」が家族の実態や法論理を無視して流布していますが、私はこの現状に危惧を抱いています。子どもの権利の視点からの冷静な議論が必要です。




ニューフェイスのごあいさつ
弁護士 分 部 り か

 はじめまして。この1月から、市民共同で弁護士として働き始めた、分部りかです。
 東京出身の私は、ロースクール進学のために、4年前に神戸にやってきました。これが私の関西デビューでした。今回、市民共同で働くために、家族を連れて、京都に引っ越してきました。京都に住むのも初めてで、新しい生活に私も家族もわくわくしているところです。
 私は、法曹を目指す前は、心理学、とりわけコミュニティ心理学という心理学を専攻していました。コミュニティ心理学の発想の原点は、心の病を抱える人をいかに地域で支えていくかということの方法論を考えることでした。私は、人は社会とのつながりなしに生きていくことはできないと思っていましたし、個人が変わるよりも社会や周囲の人間が変わることが必要な問題もいっぱいあると思っていましたから、個人を変えることに重きを置く伝統的な臨床心理学よりも、コミュニティ心理学に、強い共感を覚えたのです。
 誤解を恐れずに言えば、伝統的な心理学は、個人が抱える問題は、個人の内面に問題があると考えて、個人の内面にアプローチしてきたのですが、コミュニティ心理学では、個人の問題は、個人と社会との関係において生じていると考えるので、ときには、個人に働きかけることよりも社会に働きかけることを選ぶのです。
 私が、心理学の専門家として働くことをあきらめて、弁護士を目指したのは、心理学の専門家が、社会的に認知されておらず、非常勤のかけもちで、社会保障もなく、何年も同じ給料で、専門職としての責任を果たしながら働かなければならないことに、フラストレーションを抱えており、加えて、家族を支えるには、何年も同じ給料では、やっていけないと思ったからです。
 職業を変えるときに、弁護士という職業を選んだのは、弁護士という職業は、心理学と同じように、目の前にあらわれた人の問題を解決することが第一の仕事であり、ダイレクトに人とかかわることができること、そして、そのように個人を扱いながら、個人が変わることを促すのではなく、法的手段をもって、結果的に社会を変えていく可能性があることが、コミュニティ心理学の発想にとても近いものがあると思ったからでした。
 私が弁護士としてできることなどもちろんわずかなもので、社会を変えていくことなど、到底無理な話でしょう。でもそれを言い訳に、なにもしないままでいるのは、変化への希望さえ捨ててしまうことになると思います。
 弁護士としてはまさに駆け出しで、一生懸命やることしかできませんが、常に、希望を持って、真摯に、目の前の依頼者の方のお手伝いをさせていただきたいと思います。なにもしなければなにも変わらないですが、なにかをする選択が、唯一、変化のきっかけになると信じています。どうぞよろしくお願い申し上げます。