事務所だより
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2011年8月 残暑お見舞い申し上げます
2011.08.20
残暑お見舞い申し上げます
2011年8月

弁護士 大 脇 美 保
弁護士 久 米 弘 子 : 東日本大震災と「失踪宣告」の制度について
弁護士 塩 見 卓 也 : 有期雇用の期間中に使用者側の落ち度によって
                 退職せざるを得なくなった場合の損害賠償請求

弁護士 中 島    晃 : アラジンの石油
弁護士 中 村 和 雄 : 「刷新・京都市政」はじめよう 京都から新しい日本
                 京都市長選挙への出馬決意について

弁護士 諸 富    健 : 京都建設アスベスト訴訟提訴
弁護士 吉 田 容 子 : 「ハーグ連れ去り条約」って何?
事務局一同


東日本大震災と「失踪宣告」の制度について
弁護士 久 米 弘 子

1、東日本大震災では、大地震と大津波の被害に加えて、福島第一原発の事故による放射能の影響が今も続いています。寒さの中ではじまった不自由な生活が、猛暑になっても改善されていません。被災者の皆様の苦しみは如何ばかりでしょうか。政治の混乱を持ちこむことなく一日も早い復興を、と願わずにいられません。
2、この大震災で「失踪宣告」(民法30条)という制度が、改めて取り上げられています。
 「失踪宣告」とは、所在のわからない人の生死が一定期間明らかでない場合、家庭裁判所が死亡したとみなす旨の宣告をする制度です。東日本大震災では、未だに行方不明の方が多数あります。被災地のガレキの撤去処分もまだできていないのと、津波で建物ごと流されたために、遺体をみつけることすら十分にできないでいるからです。この場合、家族にとっては、行方がわからないのに死亡扱いなどとてもできないというのが心情でしょう。しかし、行方不明のままでは、労災保険や遺族年金、預貯金などの相続手続もできずに困っているという現実もあります。
 民法の「失踪宣告」の規定では、原則として「7年間生死が判明しない場合」に、親族など利害関係人の申立によって家庭裁判所が調査した上で、宣告をします。
 但し、戦争や船の沈没、その他「死亡の原因となるべき危難に遭遇した者」の生死がわからない場合は「その原因が止んだあと1年間」と短縮されています。
 今回の東日本大震災では、被害の規模がこれまでにない大きさであり、行方不明者も多数にのぼることからさらに生死不明の期間を「3ヶ月」とする特別措置がとられました。既に大震災発生から3ヶ月以上たちましたので、この特別措置で失踪宣告を得る人が増えてきています。遺族の心中は察するに余りあります。
3、「失踪宣告」は「生死が明らかでない」場合です
ので、生きていることはたしかだが所在がわからない、連絡がとれない、という場合は該当しません。
 又、宣告後に、生きていることがわかった場合は、取り消されます。
 失踪宣告の効力は、その人が死亡したと同じ法的取扱いができることです。相続や年金の手続などが多いでしょうが、婚姻関係も終了します。
4、なお、「失踪宣告」と法律上の離婚原因の一つである「配偶者の生死が3年以上明らかでないとき」(民法770条1項3号)とが混同されることがあります。離婚原因の方は「失踪宣告」がされていなくても裁判離婚の原因になります。ときどき別居して3年又は7年たてば裁判しなくても当然離婚できると二重に誤解している人がいますが、生死不明で失踪宣告を得ていれば離婚ではなく死亡扱いで婚姻終了になります。失踪宣告を得ていなくても、所在がわからない人に対する公示送達という手続で裁判をして離婚の判決を得ることができます。
 又、相手が行方不明で連絡もとれなければ3年間も待つ必要はなく、婚姻の破綻(民法770条1項5号)を原因として数ヶ月位でも離婚の裁判をして判決を得ることができます。
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有期雇用の期間中に使用者側の落ち度によって
退職せざるを得なくなった場合の損害賠償請求
弁護士 塩 見 卓 也

 本年7月4日、非正規労働者の権利を守るために非常に意義ある判決をとりました。この判決により、有期雇用で働く人が使用者から理不尽な扱いを受け退職に追い込まれた場合に、今後は使用者に対する損害賠償請求が認められやすくなると考えられます。
 この事件は以下のような事案です。
 依頼者は、テレビCMでも有名な某クリニックの経営者一族が100%出資している広告会社の大阪支社で、当初は営業職の正社員として働いていました。ところが、その大阪支社で不祥事があり、会社は大阪での業務を縮小することにしました。依頼者を除く社員はいずれも退職し、大阪には依頼者だけが残ることになりました。さらに会社はその機会に、依頼者に、それまでの正社員としての契約から、契約期間1年の有期雇用の契約に切り替えて欲しいといいました。
 有期雇用への切り替えは明らかに不利益変更なので、通常ならば受け入れられるものではありません。しかし、会社は、有期雇用への変更と引き換えに、給料のうち営業成績に応じて増減する歩合給部分の歩合率を依頼者に有利に変更することと、従前の大阪支社を廃止する代わりに、依頼者が常駐できる「大阪事務所」を確保することを約束しました。依頼者は、「大阪事務所」さえ確保されたら、そこでの勤務は自分一人だけなのだから、有期雇用といえども、事務所が維持される限りそう簡単に雇止めされずに契約が更新され続けるだろうと考えました。そして、必ず会社が大阪事務所を確保すること、自分の勤務地は大阪事務所に限定されることを確認した上で、この会社からの契約切り替え要求に応じました。
 ところが、旧大阪支社の賃貸借期間満了が近づいてきても、会社には新たに大阪事務所を賃借しようという動きが全く見られませんでした。依頼者は、何度も会社に大阪事務所の確保はどうなっているのかを問い合わせましたが、なしのつぶてでした。それどころか、旧大阪支社の賃貸借期間満了の1か月前になって、突然依頼者に在宅勤務を命じる通告をしてきました。依頼者の自宅は京都で、在宅勤務では大阪の顧客との間での仕事を継続することが困難になってしまいます。
 依頼者は、会社が大阪事務所を確保せず在宅勤務を命ずるのは契約違反だという理由で、自分から会社を退職しました。その後、私のところに相談に来られました。
 民法628条には、「当事者が雇用の期間を定めた場合であっても、やむを得ない事由があるときは、各当事者は、直ちに契約の解除をすることができる。この場合において、その事由が当事者の一方の過失によって生じたものであるときは、相手方に対して損害賠償の責任を負う」という規定があります。つまり、労働契約に期間が定められていても、退職せざるを得ないやむを得ない理由があれば、契約期間の満了をまたなくても労働者は退職することができ、しかも、その「やむを得ない理由」が使用者のせいで生じたものであるならば、使用者に対し損害賠償請求をすることができると規定されているのです。
 私は、会社が大阪事務所を確保せず、しかも営業の仕事が継続困難になる在宅勤務を命じてきたことは、依頼者が契約期間途中で退職する「やむを得ない理由」にあたり、同時に会社に契約違反の落ち度があったといえることから、民法628条に基づき損害賠償請求ができると考えました。ところが、その後いろいろ調べたところ、「民法628条に基づく損害賠償請求」には、どうやらこれまでに先例となる裁判例がないことが分かったのでした。
 私は、先例がないために今回の訴訟の結果がどうなるか先が読めない不安はあったものの、むしろ今回の事案こそ価値の高い先例にすることができるのではないかと考え、本件を提訴し、訴訟活動に取り組みました。結果、依頼者が退職に追い込まれた時点から本来の契約期間が満了するまでの期間の賃金総額に相当する損害賠償を満額で認める判決が出ました。
 この判決の趣旨からすれば、今後は、例えば有期雇用の非正規労働者が、正社員から差別されたりいじめを受けたりされている状況で、会社に改善を訴えたのに全く対処してもらえず、耐えきれずに自分から期間途中で退職したなどの事例で、会社に対する損害賠償請求を行う場合についても請求が認められると考えることができます。今回の判決が、今後の非正規労働者の権利向上に少しでも役立てばと思うところです。
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アラジンの石油ストーブ
弁護士 中 島   晃

 アラジンというのは、千夜一夜物語に出てくる主人公で、不思議なランプで知られている。ところが、この登場人物の名前にちなんだ石油ストーブが、今回の震災以後、脚光を浴びることになった。
 私のつれあいの姉夫婦が、茨城県ひたちなか市に住んでいる。3月11日の東日本大震災により、何日間か停電が続き、ローソクの明かりを頼りにして暮らすことになった。困ったのは、暖房器具が使えなくなったことである。エアコンやガス器具が使えなくなったことは勿論であるが、石油ストーブまでが、いまどきの仕様で、電気によるファンが取り付けられているため、これまた使えない羽目におちいった。
 そこで、物置に仕舞われていたアラジンの石油ストーブが登場することになったという。この石油ストーブは、イギリス製でブルーフレームが特長であり、においも殆どないというすぐれもので、我が家でも、30年以上前、子どもたちがまだ小さかった頃には、大変重宝した代物である。このアラジンの石油ストーブで感心することは、いまだに、替え芯や部品を途切れることなく供給し続けていることである。
 ひるがえって日本では、こうした製品が数年でモデルチェンジされてしまい、それまでの製品が故障して修理しようと思っても、もう部品がつくられていないとか、修理代が高くつくとかいわれて、新製品の購入を勧められるのがオチである。
 こうして、わが国では大量生産、大量消費、大量廃棄が人々に強制され、不必要なエネルギーの浪費が大量になされる仕組みが社会的につくられてきたということができる。それを象徴するのが、オール電化住宅であった。
 こうした日本のエネルギー浪費社会に、青天の霹靂のようにおこったのが福島原発事故であった。それにしても、今回の原発事故は、あまりにも深刻であり、重大であるといわなければならないが。
 原発事故以来、節電がやかましくいわれているが、むしろこの際、エネルギーの大量浪費社会のあり方を根本から見直す必要があると考える。
 我が家も3年ほど前に台所のリフォームをした。その際、電力会社から、しつこくオール電化にするよう勧められた。このとき、うちのカミサンは、IHヒーターにしてしまうと、海苔を火であぶれなくなるからいやだといって、セールスを撃退した。本当に今は、オール電化にしなくてよかったと思っている。
 私たちは今、これまでのような便利さや手軽さだけを追い求める暮らしの有り様を根本から見直して、先人達が培ってきた文化をきちんと受け継いだ、堅牢な生き方をすることが求められているのではないだろうか。
 ということで、周囲の人々から顰蹙を買いながらも、携帯電話をもたない弁護士という、いささか時代遅れの人間も多少は見直されて、今しばらくは、生きのびることができそうな形勢である。
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「刷新・京都市政」はじめよう 京都から新しい日本
  京都市長選挙への出馬決意について
弁護士 中 村 和 雄


私の決意
 東日本大震災と福島第一原発事故をうけて、私たちはこの国のあり方を根本から問い直すことを迫られています。京都市政もまったく一緒です。前回市長選挙から4年、私は、親の経済事情から大学進学をあきらめる多くの高校生たちと出会うなど、市民生活がぎりぎりまで追いつめられている現状に各地で直面し、格差拡大と貧困の問題が深刻な事態に至っていることを痛感しました。
 今の京都市政は、市民生活を守る防波堤としての市政の役割を放棄し、財政難を理由に、無定見なまま「構造改革」路線に追随・推進するなど、「市政の主人公は市民」という本来のあるべき姿からはほど遠い存在となっています。私は、現市政のもとで広がった格差と貧困の是正を実現するために、思いを同じくするすべてのみなさんに協力を呼びかけ、一緒に京都市政を刷新していきたいと考え、再び京都市長選挙に立つことを決意しました。
「循環」「ボトム・アップ」「参加」…私がめざす京都市政」
 これからの京都は、そこに生きるすべての人々を大切にするとともに、あらゆる面において「継続的に循環し、再生・発展するまちづくり」をめざさなければなりません。そのことによってこそ、豊かな暮らし・文化・学術・景観を継続発展させることが可能になります。
・脱原発・再生可能エネルギーへの転換
 原発に依存しない、安全で豊かな地域を創るのか否かが問われています。日本の将来のあり方に関わる大きな課題です。営々と築きあげてきた千年の都を一瞬にして人の住むことが出来ない廃墟にしてはなりません。脱原発を明確な方針とし、30年以上経た老朽施設は直ちに廃止し、その他の施設は10年以内に順次廃止するよう国に働きかけます。風車や小水力発電、間伐材ペレットによる発電など、地域づくりと一体で再生可能な自然エネルギーへの転換をすすめます。
・経済・雇用のボトムアップと循環
 疲弊する京都の中小企業全体が力をつけていかなければ、京都経済は全体として弱体化してしまいます。京都の経済を支えている中小企業への「底上げ支援」(ボトムアップ)が不可欠です。そのために、公契約条例を制定し、中小企業の育成に市をあげて取り組むとともに、大企業にも地域への貢献を求めていきます。
 京都で働き暮らすみなさんが、人間らしく働けるように、「働き方を変える京都市公契約条例」を制定し、京都市の契約にかかわるすべての労働者の最低賃金を引き上げるとともに、非正規雇用問題の解消を推進します。
・教育条件の格差是正
 子どもたちが市内のどこでも個性豊かな人間として健やかに成長できるように、教育条件の格差を是正します。現市長が教育長時代の事業に対して、司法による違法判断が相次いでいます。教育行政をゆがめてきた現市長の責任は重く、市政を担う資格が問われます。
・市民参加
 「市民参加」は、市民の意見を聞くだけでは不十分です。「自分たちの地域は自分たちで創っていく」という民主主義の原点にたち、11行政区に「区民協議会」を設置します。民主的に選任された委員から構成される区民協議会をつくり、市民が政策の決定や予算執行まで関与できる透明で地域に根ざしたシステムをつくります。
「はじめよう京都から」…市政刷新を願うすべての皆さんに共同を呼びかけます
 4年前、市民のみなさんの市政刷新への熱い思いにふれさせていただいて、市民の声と運動が政治を動かす大きな力を持っていることを実感しました。この熱い思いと力で、今度こそ市政を変え、これからの日本の政治を変えていく大きな力にしていきたいと思います。国政が行き詰まっている現状の中で、京都から古い政治体制を打ち破り、新しい政治を創っていきましょう。
 依頼者のみなさんにはご迷惑をおかけします。当事務所の弁護士たちの協力を得て、みなさんにはけっしてご迷惑をおかけしない体制を構築させて頂きます。ご理解のほどよろしくお願い致します。
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京都建設アスベスト訴訟提訴
弁護士 諸 富   健

 アスベスト(石綿)は、糸や布に織ることができ(紡織性)、引っ張りに強く(抗張力)、高熱に耐えることができる(耐熱性)など、優れた特質を有する上、大量に産出されて安価であることから、「奇跡の鉱物」と呼ばれてあらゆる用途に利用されてきました。とりわけ、内装材や外装材、屋根材など、建築材料として大量に使用されてきました。日本で消費されたアスベストの7割以上が建築材料として使用されました。その結果、アスベスト含有建材が建設現場に集中することになり、建設作業従事者は作業中に発生したアスベスト粉じんに曝露しました。アスベストは、人体に有害な影響を及ぼす物質であり、アスベスト粉じんに曝露することによって、石綿肺や肺がん、中皮腫など重篤な肺疾病が引き起こされました。
 このアスベストの有害性・危険性は戦前から知られており、石綿肺については1930年ころまでに医学的知見が確立していました。また、肺がんについては1955年までに、中皮腫については1965年までに医学的知見が確立していました。ところが、日本では、その後もアスベストの使用が拡大していきました。1970年〜1994年の間、毎年20万トン〜35万トンものアスベストが海外から輸入されました。アスベストは、安価で優れた特質を有することから、2005年のいわゆるクボタショックを経て、2006年にようやく全面禁止されるまで、利潤を追求する営利企業によって使われ続けたのです。そして、国民の生命・健康を守るべき国は、アスベストの有害性を知りながらこれを放置し、かえってアスベストの使用を推進する役目を果たしたのです。
 そこで、本年6月3日、京都で27年ないし57年もの間建設作業に従事してアスベスト粉じんに曝露し、石綿肺や肺がんなどにり患した原告ら11名が、国と建材メーカー44社を相手取り、訴訟を提起しました。アスベスト関連の疾患は、「静かな時限爆弾」とも言われるように、潜伏期間が約10年ないし50年と極めて長く、今後ますますその有害性が顕在化することが予想されます。そのため、この裁判を通して、アスベストの有害性・危険性、それによる被害の重大性・深刻性を広く社会に明らかにするとともに、国とメーカーの法的責任を明確にして真摯な謝罪を勝ち取り、原告も含めたアスベスト被害者の完全救済を図りたいと考えています。
 すでに、先行して首都圏建設アスベスト訴訟が闘われており、また、札幌や静岡、大阪でも建設アスベスト訴訟が提起され、福岡でも提訴予定となっています。まさに、建設アスベスト訴訟は全国的な課題となっています。我々京都の弁護団も全国の弁護団と連携を取りながら、アスベスト被害の早期全面解決のために全力で闘い抜く決意です。皆様には厚いご支援を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。
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「ハーグ連れ去り条約」って何?
弁護士 吉 田 容 子

1、政府は「国際的な子の奪取に関するハーグ条約」の批准に向けた準備を進めています。この条約は、国際結婚の破綻に伴って、一方の親が他方親の監護権(日常の世話を一切していなくても、子供の転居について同意権を持っていればこれに該当)を侵害した形で、子どもを国境を越えて移動させた場合に、これを「不法な連れ去り」と断じ、原則として直ちに子どもをもとの国に返還させるというものです。
 国際的な統計によれば、同条約に基づく返還申立を受けた親の約7割は女性です。日本がこの条約を批准すれば、外国での国際結婚が破綻し子どもと一緒に日本に帰国した母親たちが、この返還命令に直面する事態が想定されます。夫からのDVや子供への虐待に苦しめられ、子供と自分の安全を守るために、必死の思いで子どもを連れて逃げてくる女性が多数いますが(女性はその国では外国人であり、言語・文化・支援者・在留資格など様々な点で弱い立場に置かれ、十分な保護支援が受けられないことが多い)、そのような場合でも、原則として直ちに子どもを返還するのがこの条約です。
2、注意すべきことは、この条約が「子の最善の利益」を守ることを目的とするものではないということです。もし本当に「子の最善の利益」を守るための条約ならば、国境を越えた子どもの移動を直ちに「不法な連れ去り」と断じ迅速な返還を命ずるのではなく、その移動が本当に子供の最善の利益を侵害しているのかどうかを慎重に吟味する筈であり、子ども自身の意思の重視はもちろん、移動前の監護状況、移動の理由、移動後の子の監護状況、監護者としての適格性など様々な要素を総合考慮する筈です。ところがこの条約は、返還審理にあたってこれらの要素を全く考慮外とし、「とにかく返還しろ、その後の監護に関する事柄は返還先国で決めるのだ」という構造となっています。「子の最善の利益」ではなく、監護権の回復を目的としていることがわかります。
3、条約は、返還を命じなくてもよい(命じてもよい)場合として、@連れ去りから1年以上経過し、かつ子どもが新しい環境に順応した場合、A返還すれば子どもに対する重大な危険がある場合、B成熟した子どもが返還に異議を述べた場合、などを規定しています。しかしこれらの規定は極めて制限的に運用されています。例えば、@は避難生活をしていたら新環境に順応していないと判断する、Aには母親に対するドメスティック・バイオレンスは含まれない、B子が異議を述べても未成熟であるとか母親に影響されているためとして返還を命ずる、などの運用が主流です。また、これらの事由の立証責任は被申立人(多くは母親)に課せられており、子への虐待やDVが物的証拠の不足のため立証不十分と判断され(虐待やDVは密室で発生し、証拠を保全するのが難しい事例が多い)、子の返還が命じられるケースが多数あります。重い立証責任は子どもや女性に過酷な結果をもたらします。
 返還を命じられた子どもと一緒にもとの国に戻った母親は、逮捕される危険がありますし、再びDVを受ける危険もあります。そのため母親が帰国できない場合、子どもは母親から引き離されることになりますが、それが本当に子どもの利益に合致するのかも、相当に疑問です。
 この条約は、やはりとても危険です。
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