レジ袋の有料義務化が始まりました。海に流れ込む廃プラスチック問題が深刻化していることが背景の一つになっています。日本は、一人あたりの容器包装プラスチックゴミ排出量世界2位です(1位は米国)。当事務所も、飲料水にペットボトル飲料を利用していました。日本が2位の位置を占めることに当事務所も大いにかかわっていたわけですね…。
日本は、中国や東南アジア諸国に廃プラを輸出していました。しかし、これらの国が輸出規制をし始めています。そもそもの発生を抑えていかないと、その処理が間に合わなくなるのは時間の問題です。
使い捨て(ワンウェイ)プラスチックであっても、回収され、分別され、また新たなプラスチック製品として使われていると信じていました。しかし、プラスチックのリサイクルには、サーマルリサイクルが含まれているということを最近知りました。サーマルリサイクルとは集めたプラスチックを燃やして、その熱を利用することです。ペットボトルからペットボトルの再生(ボトルtoボトル)は1割程度といわれています。他製品に再生されても結局最終的には捨てられ、燃やされるわけで、二酸化炭素を排出し、地球温暖化に荷担していることにかわりありません。
このままプラスチックを利用していくと、2050年には、海洋に住む魚と海に存在する廃プラの量が同じになるとまでいわれている海洋プラスチック問題。追究した便利さの結果、得るものがこのような事態だということを受け止めて、3R(Reuse, Recycle, Reduce)のReduce(削減)にむけてできることからはじめていきたいと思います。
弁護士会って何をしてるの?
弁護士 諸富 健
2020年度京都弁護士会の副会長に就任しました。4月1日からスタートしましたが、1月15日には就任が決まっていましたので、それ以降仕事の引継ぎを受けてきました。新年度が近づくにつれて新型コロナウイルスの感染が拡大し、新年度早々緊急事態宣言が発せられて、その対応に追われながら弁護士会の仕事をしてきました。
ただ、弁護士会ってきいても一体何をするところなのか、あまりピンとこない方も多いかもしれません。そこで、弁護士会の主な業務について述べてみます。
そもそも、弁護士は、いずれかの単位会(全国52あります(東京3、北海道4、その他府県に各1))に所属しなければなりません。京都弁護士会には、6月末時点で809人の弁護士が所属しています。そして、弁護士会は、政府の監督を受けない在野の法曹団体であり、政府から独立して、市民向け、所属弁護士・事務員向け、弁護士会職員向けの業務を行っています。
市民向けのメイン業務は、法律相談業務です。法律のプロフェッショナルとして、交通事故、債務整理、遺言・相続、消費者被害、労働、離婚、DVなどなど、様々な法律問題について、弁護士会館や府内各地の法律相談センターで法律相談に応じています。また、府内各自治体等から委託を受けて弁護士を派遣し、法律相談を担当しています。
また、罪を犯して逮捕・勾留された人から出動要請を受けて弁護士を派遣する当番弁護士制度、被害者に対する犯罪被害者支援制度も重要な業務です。
さらに、弁護士会独自に紛争解決手続(ADR)も実施しています。今年度からコロナ対応臨時Web調停も開始しました。
市民向けとしては、学校への出前出張授業や府市民教室、憲法と人権を考えるつどいをはじめとする各種シンポジウムなども開催していますし、会長声明や意見書を発出して、様々な社会問題について法律の専門家の立場から市民のみなさんにその問題点を明らかにしています。
こうした市民向けサービスを実現するために、また会内業務を運営するために弁護士会内に委員会や本部、PTなどが設置され(京都弁護士会には全部で70近くあります)、各会員弁護士がいずれかの委員会等に一つないし複数所属して、その業務を担っています。
政府から独立した組織ですから、懲戒処分も自前で行います。また、会員向けの研修も多数実施して自己研鑽を積む機会を提供しているほか、会員間の懇親を深めるイベントなど福利厚生も欠かせません。
弁護士会が行う様々な業務を縁の下で支えているのは、弁護士会職員です。会館内で20数名、会館外を含めると40数名の職員が、多岐にわたる弁護士会業務を把握し、800名を超える会員弁護士への連絡を担うなど、会業務に従事しています。
これまでも一会員として弁護士会業務に関わってきましたが、理事者になってみてその業務の膨大さに日々驚かされています。京都弁護士会は、HPやFacebook、Twitterで情報を発信していますので、お時間のあるときにご覧いただければ幸いです。
子育て雑感
弁護士 喜久山 大貴
我が子が生まれてようやく1年余りが経ちました。夫婦の実家が遠方にあって両親の協力が期待できない環境の中、仕事と育児を両立させることがいかに過酷なものかを実感しているところです。
生後6か月までは、平日昼間は妻に任せ、夜間と休日は私が子どもを見るという役割分担をしていました。どうしても日中の仕事にかけられる時間が減り、夜泣きやミルクの吐き戻しで深夜に衣類の手洗いやシーツの取り換えに体力を奪われ、子どもが寝静まってから書面作成やメール対応を行っていましたが、やはり限界が来ました。
その後、子どもを保育園に通わせ、夜間の育児を妻と分担することで若干の負担は減ったはずですが、子どもの成長と共に活動範囲が広がり、家の中の危険な場所が増え、そこに離乳食の準備も加わり、これまで以上に手がかかるようにもなりました。ちなみに、我が子は0歳児で警察署の接見室デビューを果たしました。
さらにCOVID-19の蔓延により、保育園は厳戒態勢となります。民事裁判の多くは期日取消しとなりましたが、刑事事件や裁判外の交渉案件、新規の法律相談、原稿執筆などは残ります。特別保育はテレワークで自宅勤務の場合には利用できないという制限もあり、かなり苦労しました。
子は順調に大きくなり、遊びや意思疎通の方法も増え、親としても日々新たな感動や喜び、学びがあります。もう少しで負担も減るはずという諸先輩方のアドバイスを信じて奮闘しています。
10万円はだれのもの?
弁護士 大脇 美保
新型コロナウイルス対策で、1人一律10万円の特別定額給付金が支払われることになりました。
ところが、この給付金は個人個人に通知が郵送されるのではなく、原則として、世帯主の口座に家族全員分が振り込まれることになりました。この給付方法が決まった直後から、「DVで避難していて住民票が移せない人はどうするの?」「夫(父)が勝手につかってしまったらどうしたらいいの?」などの疑問の声が上がりました。DVで別居している方については、一定の例外が認められるようになりましたが、十分な対策とはいえません。
そもそも、「世帯主」とは何なのでしょうか?総務省は「主として生計を維持し、世帯を代表すると社会通念上認められる者」と定義しており、もちろん性別に決まりはありません。しかし、実際は、2015年の国勢調査でみると、「夫婦のみ」「夫婦と子ども」の世帯の98%以上が、世帯主が男性となっています。
このような実情の中で、世帯主に給付するということは、世帯主でない人(多くは女性)を事実上不利に扱うことになるので、1985年に国際会議で採択された女性の地位向上のためのガイドラインでは、法律や調査において「世帯主」というような用語を廃止する必要があると指摘されています。
日本のように「個人単位」ではなく「世帯単位」で給付金を決める国は、世界の中では少数です。家族の在り方が多様化する中、個人個人が尊重されるためには、少しずつでも変えていくべきではないでしょうか。
税金を食い物にする「新型コロナビジネス」を監視しましょう!
弁護士 中村 和雄
貧困ビジネスならぬ公金を不正に取得する大規模「新型コロナビジネス」が問題となっています。政府の緊急雇用対策の柱である「持続化給付金」の所管は、経産省中小企業庁です。中小企業庁は手続き業務を一般社団法人サ−ビスデザイン推進協議会に一括で委託したのです。その額なんと769億円。この協議会は、電通やパソナなどが関わって作られたものです。従業員はたったの14人。協議会は受託した業務を丸投げで電通に再委託、その額は749億円。この金額自体適正さが疑われますが、差額の20億円がどこに消えたのか、疑惑が深まっています。国会で追及された経産省幹部はまともに説明できませんでした。GO・TOキャンペーンも同じ構造です。政権に関係の深い大企業が政府の政策決定過程に深く関与して莫大な資金のプロジェクトを自らの企業に受注させているのです。「天下り」ではなく「天上がり」といわれています。
今回の新型コロナ関連対策として巨額の資金が国から投入されていますが、便乗して巨額の利益を不正に得ようとする輩が存在するのです。市民の大切な税金です。しっかり監視していきましょう。国会でも徹底追及されることを期待します。
京都市児童相談所職員が公益通報目的で記録を持ち出したことで懲戒された事件で控訴審でも懲戒処分の取消を認める
弁護士 塩見 卓也
今年の新年号ニュースでご紹介しました、京都市を被告とする事件、控訴審でも勝訴しました。事件の概要は以下のとおりです。
2014年、京都市の児童養護施設で、施設長が児童虐待を行ったという事件がありました。この件について、児童の母親から京都市の児童相談所に対し相談があったのに、児童相談所が約4か月にわたり調査を行わず放置したことに気づいた児童相談所勤務の京都市職員が、京都市の外部公益通報窓口の弁護士に通報したところ、逆に担当外の児童記録データ無断閲覧や児童記録のコピーを持ち帰ったことなどを理由に、2015年12月、3日間の勤務停止の懲戒処分を受けました。この事件については、繰り返し新聞各紙で報道されました。
2016年7月、京都市を被告にこの懲戒処分の取消を求める訴訟を提訴し、3年を経て、2019年8月8日、京都地裁は、この懲戒処分を取り消す原告勝訴の判決を言い渡しました。京都市は控訴しましたが、2020年6月19日、大阪高裁も懲戒処分を取り消す判決を維持しました。控訴審判決は、京都地裁の判決に比べ、事実経過をより詳細に認定しました。その認定した内容は、担当外の児童記録閲覧は禁止された行為でない、原告が当該児童の問題が放置されていたと疑問を持つことももっともである、児童記録を持ち帰った行為は公益通報に付随するものなので正当な目的がある、など、ほとんど原告の言い分に沿った内容となり、京都地裁の判決よりもさらにいい判決になりました。
政府による記録隠し、記録改竄などが繰り返し社会問題となっている昨今、行政機関による不正を内部告発することの正当性が認められたことは意義深いことであり、非常によかったと思います。
「日本軍「慰安婦」問題を記憶・継承する会・京都」の活動
弁護士 吉田 容子
1931年の満州事変に始まり、1937年からの日中戦争、1941年からのアジア太平洋戦争を経て、1945年の敗戦に至るまで、日本軍は各地に「慰安所」を作り、朝鮮・台湾・日本・中国・フィリピン・インドネシア・東ティモール・マレーシア・タイ・グアム・ビルマ・ベトナムなど各地から集めた多くの女性を「慰安婦」とした(実態は将兵との性行為を強要する性奴隷)。この日本軍「慰安婦」問題は終わっておらず、被害者の苦しみは今も続いている。
この加害事実と被害の実情を「記憶し継承すること」を目的に、私達は3年前から活動している。今年2月には鈴木隆史さん(2013年からインドネシア南スラウェシ州(旧南セレベス)で100人以上の被害者や証人(日本軍駐屯地で働いていた男性や元兵補を含む)から聞き取りをしてきた)の案内で、メンバー4名が南スラウェシを訪れ(私も参加)、7月には鈴木さん等を招いた証言映像と講演の会を京都市内で開いた。「彼女達の筆舌に尽くせない体験に耳を傾けるとき、いかに日本兵たちが彼女達の人生を破壊したかを知ることになる。私が出会い、話を聞くことができたサバイバーたちは、既に亡くなりあるいはまだ名乗り出ることさえできない人たちの数からすればほんの一握りでしかない。それでも彼女達の辛くて思い出したくもない話に耳を傾けてその事実に向きあうことは、何よりも大事だと思う。彼女達が75年間心の中に閉じ込めていた日本兵による性暴力とその後の人生について、彼女達の語りをしっかりと受けとめてほしい。」との鈴木さんの言葉を、噛みしめていきたい。
『蘇民将来之子孫也』―新型コロナウイルスに想う
弁護士 中島 晃
今年は、新型コロナウイルスの影響で、残念ながら祇園祭の山鉾巡行は中止になった。しかし、幸いなことに、厄除けちまきは、いつものように入手できることになった。そうしたことから、わが事務所には、今年も長刀(なぎなた)鉾と南観音山のちまきが届いている。
祇園祭は、いまでは観光行事のように思われているが、もともとは祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)とよばれる、疫病退散の祭礼であった。祭神である素戔嗚尊(スサノヲノミコト)の伝説にちなみ、玄関に厄除けちまきを飾ると1年間の厄災を避けることができるといわれている。新型コロナウイルスの感染拡大が問題になっている折柄、疫病終息の願いが込められている「厄除けちまき」について、いまあらためて、その意味をふり返ってみたい。
このちまきには、「蘇民将来之子孫也(そみんしょうらいのしそんなり)」という護符がつけられている。この護符は、一夜の宿を請うたスサノヲノミコトを、蘇民将来が粟で作った食事で厚くもてなしたことから、スサノヲノミコトは、そのお礼として、疫病流行の際、「蘇民将来之子孫也」と記した護符を持つ者は、疫病より免れしめると約束したという故事にちなむものである。
この神話には、もう一つの物語がある。最初、スサノヲノミコトは、大金持ちの巨旦将来(こたんしょうらい)の家を訪れたところ、「貧乏人は泊められない」といって断られたという。そこで仕方なく、貧乏な暮らしをしていた蘇民将来の家に行ったところ、暖かくもてなされたことから、スサノヲノミコトはさきほど述べたような約束をしたというものであり、その後、疫病が流行った時に、巨旦将来の一族は死に絶えたが、蘇民将来とその家族は約束どおり助かったという物語がいまも語りつがれている。
新型コロナウイルスによるパンデミック(世界的大流行)の真っただ中にいるいま、この物語は、私たちに重要な示唆をあたえているように思われる。
経済至上主義に走り、社会的弱者に対する思いやりに欠けた冷酷非情な社会、その典型ともいえるアメリカやブラジルなどで新型コロナウイルスによる死者が多数にのぼっていることは、この物語が現代においてもなお普遍的な意味をもっていることを示している。
いま、新型コロナウイルスによるパンデミックに立ち向かううえで、何よりも必要なことは、人々の生命とささやかな日々の暮らしを大切にする、そしてまた社会的弱者に対する思いやりとやさしさにあふれた社会を築くことではないだろうか。貧しくともスサノヲノミコトを暖かくもてなした蘇民将来のやさしさをうけつぐことが、いまあらためて私たちに求められているのだと考える。それは、自己責任論や自粛警察とは真逆のことであることはいうまでもない。