自治体が自衛隊に対して、募集案内のために18歳や22歳になる住民の個人情報(氏名、住所、生年月日、性別)を提供しているのはご存じでしょうか。従来は、自衛隊が名簿を閲覧して書き写していましたが、安倍晋三元首相の国会発言もきっかけとなって防衛省と総務省の連名で各自治体に通知が発出されて以降、自衛隊への紙媒体や電子データなどの提供が増えてきました。
奈良市でも2023年1月に自衛隊と覚書を締結して翌月に紙媒体を提供し、それに基づいて同年7月上旬募集案内はがきが自衛隊から募集対象者に送られました。これを受け取った高校生が原告となり、本年3月29日奈良地方裁判所に提訴しました。被告は国と奈良市で、慰謝料100万円と弁護士費用10万円を求める訴訟です。
個人4情報は憲法13条で保障されるプライバシー権の対象となるもので、しかも奈良市が自衛隊に提供した段階では翌年度18歳になる人は16歳か17歳の未成年でした。高校生については就職勧誘活動について厳格な規制があるにもかかわらず、その配慮もなされることなく、本人や保護者の同意を取ることもなく、自衛隊に名簿が提供されたのです。
本年7月2日に第1回口頭弁論期日が開かれます。原告は、「若者の個人情報提供を止めるようにするために少しでもお役に立てるのなら、という気持ちで原告になることを決意しました。」とコメントしています。是非、今後の訴訟の動きにご注目ください。
2024年3月26日、最高裁判所は、20年以上もの間生活を共にしてきた同性パートナーを殺害された方について、「婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にあった者」に該当するとして、犯罪被害者給付金の支給を受けることができる遺族に当たると認定しました。
その理由は、犯罪被害者給付金の支給制度は、犯罪行為により不慮の死を遂げた方などの精神的、経済的打撃を早期に軽減して、犯罪被害などを受けた方々の権利利益の保護が図られる社会の実現に寄与することを目的とするものであり、このような精神的経済的打撃を軽減する必要があることは、同性カップルでもかわらないということにあります。
未だ同性婚が認められていない日本において、この判断は、極めて適切な判断であり、「婚姻届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にあった者」と同様の定めがある他の制度についても、大きな影響をもつものです。
そして、先日の報道で、ある自治体が、男性カップルの住民票の続柄について、事実婚関係である「夫(未届)」として、申請を受理したという報道がありました。これまでは、「同居人」や「縁故者」という続柄だったということです。
戦争マラリアを知って
弁護士 今西 恵梨
近年、南西諸島への自衛隊配備が進んでいるというニュースを度々目にします。
2024年春先、南西諸島(主に、与那国島、宮古島、石垣島)への視察する機会がありましたので、参加してきました。
みなさんは戦争マラリアという言葉をご存じでしょうか。私は今回の視察までマラリアという病気については知っていましたが、戦争マラリアという言葉は知りませんでした。
第二次世界大戦の沖縄戦の際、日本軍の命令により、強制的にマラリアを媒介する蚊が生存しなかった地域の人がマラリアを媒介する蚊が生存する地域への移住(疎開)をさせられたためマラリアに罹患してしまい多くの人が亡くなっています。一人を残して一家が全滅した方々もいたそうです。中には、疎開を拒む人もいたそうですが、武器を有する日本軍には敵うはずもなく、疎開に応じざるをえなかったと聞きました。住民の意見を聞かず強行した日本軍の命による疎開がなければ、多くの人々は亡くならずに済んだはずです。
私は知識不足ながら、第二次世界大戦の沖縄が戦場になった沖縄戦のことは歴史でも習いましたし、認識していました。しか し、戦場になっていないところでも、日本軍の命令により疎開させられた人が今までかかることがなかった病気にかかり、亡くなっていったという事実を知り、戦争というものは、攻撃により人が亡くなるだけではなく、日本軍の命令に従った結果(攻撃が直接的なら、こちらは間接的ということになりましょうか)で亡くなることもあるのだと改めて認識しました。空襲などにより人が亡くなるということは戦争と結びつきやすいですが、戦争マラリアのように空襲などによることはないが戦争が原因で間接的に人が亡くなっていることを知らない人は多いかと思います。戦争マラリアの話を聞いて、戦争はただなくすばかりで何も生まないものであるとさらに実感しました。
現在の南西諸島の自衛隊配備が進んでいるという事実も戦争マラリアと近いものを感じます。反対する住民もいる中、政府の強硬な進め方により着実に自衛隊配備が進んでいます。政府は台湾有事のため、日本国民を守るためという理由で強硬に軍事化を進めていますが、南西諸島が攻撃の標的になった時、どのようなことが起こるのか、戦争マラリアを教訓にして私たちも想像していかなければならないと思います。そして、その想像を踏まえて南西諸島の自衛隊配備の問題を考えなければならないと思います。
「送り火」の景観が危ないジェンダー平等の実現に向けて
弁護士 中島 晃
いま、NHKの朝ドラ「虎に翼」が注目を集めています。戦前、女性が参政権を持たなかったことをはじめ、社会的政治的にさまざまな差別を受けている中で、弁護士になることを目指し、昭和13年に日本ではじめて司法試験に合格して、その後司法修習を経て昭和15年に弁護士となった3人の女性の一人、三淵嘉子さんをモデルにしたこの朝ドラは、ジェンダー平等の観点から多くの人々の支持と共感を集めているものと思われます。その一方で、世界経済ファーラムが今年6月に発表したレポートでは、日本のジェンダーギャップ指数は、146ヵ国中118位と低迷が続いており、「選択制夫婦別姓」の導入すら実現できていないなど、日本では男女格差が埋まっていない現状があらわになっています。
ところで、日本の弁護士全体に占める女性の割合は2020年に約20%になり、総数も9,000人に達していますが、女性の占める割合が50%に近いアメリカと比べるとまだ少数にとどまっています。その中で、私たちの法律事務所は男性と女性の弁護士がそれぞれ5人と同数であり、10人以上の弁護士がいる事務所で、男女同数というのは京都で初めてであり、おそらく全国的に見ても、初めてのことではないでしょうか。その点では、わが事務所はジェンダー平等の実現に少なからず貢献しているのではないかと考えます。
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自転車をやめて
弁護士 久米 弘子
小学2年生から自転車を愛用してきました。子どもの保育園の送り迎えや日常の買物に、なくてはならない便利な乗物でした。弁護士の日常でも、重いカバンや記録の風呂敷包みを持って、自転車で事務所と裁判所を往き来することを永年続けてきました。
それが、数年前にちょっとした転倒事故をきっかけに、事務所と家族の反対で乗れなくなってしまいました。皆さん「年寄りに自転車は危ないから、歩いた方が良い」というのです。仕方なくあきらめ自転車も手放しました。
不便です!日常の買物(私は週1回位のまとめ買い)でも「こんな重い物を両手に!」と思うのですが、やむを得ません。
仲良しの友達が、買物用にと、車のついた手荷物用カートをプレゼントしてくれましたが、残念ながら道路の段差と建物の階段のせいで、あまり使い勝手は良くありません。これまで「高齢者や障害のある人にやさしい町づくりを」と言ってきたのに、「我がことではなかった」と反省することしきりです。
自転車事故−それも思いがけなく重大な−が増えています。加害者にも被害者にもならないよう、気を付けましょうね!
(付記)
前号でテレビの朝ドラのことを書いたら、反響が多くて驚きました。その後、新憲法の公布に心を躍らせ、その理念の下に、司法省で民法改正作業に従事する主人公に共感しています。
地域の伝統文化に触れて
弁護士 中村 和雄
今年も盛大に祇園祭が開催されました。宵山や山鉾巡行などが注目を集めますが、じつは祇園祭の行事は1月ほどびっしりとあるのです。京都の伝統行事は信仰や生活様式とも結びつき実に奥深いものです。地元のみなさんはこの期間大忙しです。
ところで、みなさんは、壬生狂言はご存じですよね。それでは、千本えんま堂の大念仏狂言はご存じでしょうか。私は5月4日の午後6時からの最終公演を鑑賞しました。夕暮れから夕闇に至る中で、えんま堂の舞台で4つの狂言が2時間にわたって上演されました。境内にはたくさんの近隣の方々が集まっており演技者の熱演に拍手喝采でした。公演後に仮面を取って舞台に現れたみなさんは、10代から70代の老若男女、練習を積み重ねてきた地域のみなさんです。
京都の地域に根付いた伝統文化の奥深さを感じました。私は、えんま堂の近くの千本釈迦堂の大ファンなのですが、やはりかつての京の中心地であった上京区の千本一帯は恐るべしですね。私の知らない伝統文化が近くにたくさんあるようです。今年は、京都の行事の紹介をじっくり検索してみようと考えています。
「離婚しづらい社会が健全」ですか?
弁護士 吉田 容子
「結婚すると女は全部、男に権利を奪われて、離婚も自由にできないって誰かに教えてもらった?」。今話題の「虎に翼」の主人公が明治民法に憤慨して発する言葉だ。
しかし明治民法と同様の思考に囚われている人達は今もいる。「特段の事情、DVや児童虐待が無い限りですね。離婚しづらいような社会になる方が、僕は健全だというふうに思っています。」。これは自民党某衆議院議員が今年4月に国会でなした発言である。憲法や国際人権基準を理解せず、明治民法や戸籍制度等による人権抑圧の歴史を知らず、離婚を巡る紛争の実態も無視して、「子供の利益」を振りかざす。このような人達も離婚後共同親権制導入を積極的に推進してきた。
離婚しても父母間に相応の信頼関係があれば、共同親権制は不要である。単独親権制のもとで十分に子の監護について協力できる。
しかし、DVや児童虐待などが原因で父母間の信頼関係が破綻している場合には、離婚後にそのような協力をすることは不可能である(そもそも不適切)。それが気に入らない人達にとって、無理やり「協力」を強制できる共同親権制は大歓迎である。もっとも、仮に親権共同となっても、別居親の多くは面倒な日常監護は同居親に押付けて(規定上も監護に関わる日常的な行為は単独行使できるとされている)、進学や病気治療、転居など別居親が考える重大事項についてのみ、自分の権力を誇示することが予想される。
父母の「同意」とは別居親に拒否権を与えることであり、美辞麗句に騙されてはいけない。親の責任と解されてきた「親権」が、文字通り「親の権力」として復活する。明治民法の復活である。
親権を単独にするか共同にするかで争いとなれば、裁判所で決着をつけるしかない。働いて生計を維持しつつ、子の監護をし、時間と費用を使って熾烈な裁判を遂行する。万一、裁判所で親権共同と判断されれば(可能性は低いので過大な心配は禁物だが)、離婚しても引き続き生活に介入されることになり、離婚の意味はその大半が失われる。そうなれば最初から離婚をあきらめる女性達もでてくるだろう。
しかし、本当に、「離婚しづらい社会が健全」ですか?