迎春
2025年1月
弁護士 今 西 恵 梨 : 借金のことでも気軽に相談ください弁護士 大 脇 美 保 : いまこそ「選択的夫婦姓制度」の導入を弁護士 喜久山 大 貴 : 弁護士 久 米 弘 子 : 事務所開設から40年−大激変の時代でした弁護士 塩 見 卓 也 : この10年間(とこの1年間)を振りかえって弁護士 中 島 晃 : 誰もが個人として尊重される社会をめざして弁護士 中 村 和 雄 : 40年を振り返って弁護士 諸 富 健 : この15年を振り返って弁護士 吉 田 容 子 : 弁護士 分 部 り か : 裁判官が主人公のリーガルドラマ「ALL RISE(オールライズ)」 事務局一同
借金のことでも気軽に相談ください
弁護士 今西 恵梨
2024年は11月まで暖かかったりと昔と季節変化が変わっていることを非常に実感した年だったと思います。そんな2024年でしたが、市民共同法律事務所は開設から40年という節目の年でした。私は、まだ事務所に加入して1年ですが、節目の年に立ち会うことができて光栄でした。
今回の事務所ニュースでは、私も今までを振り返って、よく取り扱っている事件の一つである債務整理(借金の問題)をあげてみたいと思います。
昨今は後払い決済も増えており、一回も債務を負ったことがない人というのはほとんどいないと思います。実は、クレジットカード払いを含め、後払い決済というのは、自身の信用をもとに後払いを依頼しているのでたとえ一回払いであっても債務(借金)にあたります。
たとえ債務があったとしても、月々の支払を収入で支払いができていれば特に問題はありません。しかし、月々の支払が収入内でできず、他から借入れたり、他のクレカを利用したりしているとそれは自転車操業に陥っていることになります。このようになってしまえば、よっぽどのことがない限り、債務整理をしなければ借金の問題を解決することは難しくなっています。
債務整理には、任意整理、個人再生、破産の3パターンがありますが、ご相談者の方の意向や収入状況、財産状況等を踏まえて、どれを選択するのか決めることになります。私にご相談された方の中には、任意整理が希望でしたが収入状況から見て任意整理が難しく、他の弁護士に依頼して任意整理をしたが上手くいかずに再度私のもとにご相談に来られた方や、借金の一要因としてギャンブルがあった方、過去に法人の代表者をしていて多額の保証債務を負っている方など様々な方が今まで来られました。みなさん、無事破産をすることができ、再スタートしておられます。
破産と聞くと、デメリットが多いじゃないか、と思われる方もおられます。確かに、高価なものは換価しなければならなかったり、保証人に請求がいったり、破産手続中には一部の職業に就くことができなかったり、官報に載ったりなどすることはあります。ですが、これらのデメリットが障壁になる人はそこまで多くなかったりします。
借金を返済していくのが厳しくなってきていると感じられている方は相談だけでもよいので、弁護士に相談してみてもよいと思います。もちろん、私のもとに相談に来られてもよいですし、その際には、現状をお聞きして、今後の流れとともに説明させていただきます。
気軽にご相談していただければと思います。
いまこそ「選択的夫婦姓制度」の導入を
弁護士 大脇 美保
本号は、事務所創立40周年記念号ということですので、ほぼ40年間解決されていない問題をとりあげようと思います。
私が弁護士になって、この事務所に入所したのは、今から35年前、1990年です。京都弁護士会の両性の平等に関する委員会でも、当時から、選択的夫婦別姓導入を課題としてあげていました。
1,選択的夫婦別姓制度はこれまでどのように検討されてきたのか
1991年から、国の法制審議会民法部会で婚姻制度の見直しが審議され、1996年2月には法律案の要綱も答申され、法務省が1996年と2010年に選択的夫婦別姓制度の民法改正法案を準備しましたが、いずれも、保守派議員の反対により、国会に提出されていません。これらの法案の内容ですが、
・婚姻時に、夫婦が各々、姓を選択できるようにする
・子の氏については、婚姻時に決める案と、子の出生時に父母の協議で決める案がある
・戸籍制度はそのまま です。
なお、現在の夫婦に同姓を強制する民法の制度については、これまで何回も最高裁判所の判断がでていますが、「違憲」の判断は出ておらず、「事情の変化によって立法裁量の範囲を超えて憲法24条に違反するに至ることもありうる」という補足意見があるのみです。
2,最近の状況
これまで、日本弁護士連合会(日弁連)でも、京都弁護士会でも、最高裁判所の判決が出た際などに、決議、意見書、声明などをだす状況が続いていましたが、2024年度、日弁連に初めて女性会長が誕生し、「選択的夫婦別姓の実現」が日弁連の重点課題となりました。
さらに、2024年にはいって、経団連や経済同友会が、選択的夫婦別姓の導入を国に要請する意見を発出しています。特に海外では「通称」という概念が理解されないので、金融機関との取引や海外渡航の際のトラブルが企業にとってもビジネス上のリスクであるという位置づけです。なお、結婚の際に夫婦どちらの姓を名乗ることが強制されているのは日本だけであり、現在も、婚姻の際に氏をかえるのは95%が女性です。
また、地方自治体でも、これまでに選択的夫婦別姓を求める意見書が可決されており、長年の取り組みの中で、2024年10月11日時点で、426件の意見書が可決され、1件の決議が上がっています。京都においても、京都市をはじめとして、複数の自治体で決議が上がっており、京都弁護士会も、すべての自治体で、賛成の意見書があがるように協力中です。
3,夫婦の姓がちがうと子どもがかわいそう?
反対する国会議員の方からは、よくこのような反対の理由が言われます。しかし、まずもって、夫婦の間には必ず子どもがいるとは限りません。
実は、私は子どもが2人いて、すでに2人とも成人していますが、「大脇美保」として弁護士業務をしていくために、法律上の婚姻はしていません。子らは父親の姓を名乗っていますが、特に子どもたちから不満不平をきいたことはありません。子どもが小さいときは、クラスの保護者の名簿が配布されたりしていましたが、個人情報保護の観点からそれもなくなりました。また、外国籍の方が多い地域に居住していますので、お子さんと親の名前が異なることはよくありましたし、そもそも、「〇〇くんのお母さん」と呼ばれていましたので、私自身の名字を名のる場面もほとんどありませんでした。
4,通称制度があればよいのか?
反対する側が対案として主張されるのが「通称制度の整備」です。現在、多くの会社などで、通称として旧姓を名乗る制度があり、弁護士についても、「職務上氏名制度」が存在します。
しかし、いずれも限界があり、弁護士でいうと、職務上氏名では口座をつくれなかったり、プライバシー情報が記載された書類の提出を要求されるなどしており、業務に支障をきたしています。マネーロンダリングなど口座の悪用などが社会的に問題になっており、2つの名前で口座を作成することにはハードルが高くなっています。
よって、通称制度の整備では、根本的に解決されず、選択的夫婦別姓が実現しなければ、この問題は解決されません。
5,昨年には、解散総選挙が行われ、自民党は「少数与党」となり、いまがチャンスともいえますので、皆さんのご理解、応援をどうかよろしくお願いします。
事務所開設から40年
−大激変の時代でした
弁護士 久米 弘子
私たちの市民共同法律事務所は設立40年になりました。昨秋、身内だけでささやかなお祝いをしましたが、独立した弁護士や退職した事務員さんたちも参加され、扱った事案や事務所旅行のスライドの上映なども含めて、思い出深い時を過ごしました。
40年は、過ぎ去ってみると、瞬く間だったようです。しかし、日本の司法や弁護士の歴史からみると、とりわけ大激変の時代であった、とつくづく思います。
テレビドラマ「虎に翼」は大好評のうちに終了しましたが、主人公が弁護士(のちに裁判官)になったのは、まだ終戦(1945年8月15日)前のこと、彼女は私の母の世代の方です。
私が修習を終えてすぐ大阪弁護士会に登録したのは、1967(昭和42)年のことです。当時、京都弁護士会は会員200名に足らずで女性は3名だけでした。5年後に私が京都弁護士会に登録替えした時も会員数はほとんど変わらず、女性弁護士は私が入ったので4名になりました。
当時、コピー機はまだ普及していず、裁判所に提出する書面はほぼ手書き、黒のカーボン紙を2枚はさんで力を入れて正副控の3通を作成しました。字の上手な事務員さんが歓迎されました。証拠書類も原本のコピーができないので、書類を手書きで写して(これもカーボン紙で)作りました。事務所に「写」というハンコがあれば、その頃の名残りです。裁判所の近くには謄写館という複写専門の仕事もありました。
京都弁護士会登録後15年経って、中島弁護士と今の事務所を開設した時には、日本語タイプライターとコピー機の時代になっていました。しかし日本語タイプライターは、削除する字数を数えて訂正する文句を入れる、など、訂正が難しかったので、原稿はよく吟味してから出さなければなりませんでした。今のパソコンなら、あっという間ですが、変わりように驚くばかりです。
裁判の制度も激変してきました。毎日、重い記録をもって裁判所へ通う日々から、事務所にいて、裁判所とはパソコンの画面と音声でつながることが増えました。裁判官とも相手方の弁護士とも直接会わないことも珍しくありません。今後、さらにペーパーレスなど裁判の改革が進むようですから、高齢になった私には、なかなかついていけないことも多くなりました。事務所の若手弁護士と共同受任して、皆さんにご迷惑をかけないよう心掛けています。小さな子どもでもネットでやりとりしているのをみると、時代の変化(それもすざましい速さ)を実感することしきりです。
ただ、私としては、弁護士と依頼者との信頼関係は、直に会って話をすることでつくられると思うことが多いので、なるべく相談や打合せの時間をとるようにしています。何年も前(時には30年も40年も昔)の依頼者からお子さんやお孫さんのことなどで相談があると、びっくりするけれど、うれしいものです。どうぞ遠慮なくお声をかけて下さい。
思えばこの40年間は、社会のどの分野でも激変の連続でした。私共は、市民の身近な生活の中で、憲法を基本とする諸権利を守ることをモットーに、事務所を維持し、拡げることができました。それも応援して下さった皆様と、一緒に仕事をしてきた所員のおかげです。
40年間を振り返ってよかったと思うことは沢山ありますが、他方で思うようにできず、心残りなこともあります。歴史は前進と後退を繰り返しながら、しかし、必ず少しずつ前進はしているものだ、と信じています。
応援して下さる皆様に心から御礼申し上げます。
この10年間(とこの1年間)を振りかえって
弁護士 塩見 卓也
昨年に事務所40周年を迎え、私も現在弁護士19年目となっています。私も、市民共同法律事務所の歴史の半分ほどを、この事務所の弁護士として過ごしたことになります。本当に月日の経つのは早いものです。
この10年を振り返れば、裁判所が労働組合による職場占拠ストライキの正当性を認め、最終的に307日の職場占拠を経て大勝利和解を勝ち取った、きょうとユニオン(iWAi分会)事件(大阪高決平成28年2月8日労働判例1137号5頁)、世界遺産・仁和寺の付属施設で調理人として勤務していた原告が、349日連続勤務などによる過労によりうつ病となったことに対し、残業代や損害賠償など合計約4,250万円の支払いを命じた仁和寺事件(京都地判平成28年4月12日労働判例1139号5頁)、外部公益通報窓口への通報目的で内部記録を持ち出し自宅保管等した京都市職員に対する停職3日の懲戒処分が違法であるとして、懲戒処分の取消しを認めた京都市(児童相談所職員)事件(大阪高判令和2年6月19日労働判例1230号56頁、最一小決令和3年1月28日労働判例1234号98頁)、外国人技能実習生の日本での就労に際し、実習先事業者と監理団体に技能実習生の在留資格更新手続等を適正に行う義務があることを前提に、その手続の調査義務・説明義務を怠り在留資格が更新されなかったことを理由に損害賠償請求を認めた佐山鉄筋工業・海外事業サポート協同組合事件(大阪地判令和5年9月28日労働判例1314号80頁)などなど、自分でも思い出に残る数々の労働事件で先例となる成果を挙げていくことができました。
また、弁護士として既に「中堅」と呼ばれるくらいの年数を務めてきて、ぼちぼち「後継」となる若い労働弁護士に自分のやってきたことを伝えていきたいとの思いを持つようになった中、2020年度からは、大阪市立大学(現・大阪公立大学)法科大学院の特任教授として、法科大学院生に労働法を教えるようにもなりました。私の授業を履修した学生で、既に労働弁護士として活動している若手弁護士もいます(うちの事務所所属ではないですが)。
このように、この10年間も、労働弁護士として、自分でも満足しうる活動を行うことができました。特にこの1年間に絞ってみると、2024年は、4月に、使用者の労働者に対する配置転換の命令に関し、1986年以来38年ぶりの新たな最高裁判例となる、職種限定合意がある労働契約において本人同意なく職種変更を伴う配転命令を行うことはできないことを明らかにした、社会福祉法人滋賀県社会福祉協議会事件最高裁判決(最二小判令和6年4月26日労判1308号5頁)を獲得しました。また9月には、自身初めての単著となる『休職の法律実務』(旬報社)という本を出版しました。それまで、「労働弁護士としてそれなりの実績をあげてきたが、これらは未だできていない」と思っていたことを、昨年は2つ達成することができました。あと、この1年間では、2024年度前期に半期だけ労働法演習担当の非常勤講師を務めた大阪大学法科大学院で、学生の授業アンケート上位となり「優秀教員」として表彰されたってのも、地味に嬉しかったです。
私も50代となり、これまでのように若さと体力で勝負することはできなくなってきましたが(40代半ばくらいから「衰え」というものを感じるようになり、かつては毎日飲んでいた酒も、今では年の半分が休肝日になっています)、これから先も、これまでの経験と蓄積を活かし、ますます頑張っていきたいと思っています。
誰もが個人として尊重される社会をめざして
弁護士 中島 晃
市民共同法律事務所の名称がどのようにして決まったかについては、昨年の事務所ニュース新年号で、また私たちの事務所がジェンダー平等を重視して、女性の弁護士と男性の弁護士が同数であることは、昨年夏の事務所ニュースで紹介しました。
そこで今回は、市民共同という名称にある「市民」とは一体何を意味しているのかについて、私なりの考えを以下に述べてみようと思います。
ここでいう「市民」とは、市民革命によって誕生した「市民社会」を構成する自由で平等な独立した人格を有する個人を意味しています。それは、日本国憲法13条が「すべて国民は、個人として尊重される」と規定している個人と同じものです。それはまた、世界人権宣言第一条が「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利において平等である」と規定していることと同じ意味をもつものです。
日本は、明治維新を迎えて、封建的な身分制度を打破して近代国家の仲間入りをしました。しかし、明治維新が市民革命かというと、必ずしもそうではなく、地主小作関係がそのまま残存するなど、封建的なシステムが一掃されずに残りました。このため、1889(明治22)年に公布されたいわゆる明治憲法(大日本帝国憲法)は、国民は「臣民」と規定され、思想信条の自由や言論表現の自由なども大巾に制限されて、とても自由で平等な独立した個人といえるものでありませんでした。
日本は敗戦により、明治憲法のもとでの旧体制から脱却し、1946年11月に誕生した日本国憲法のもとで、誰もが自由で平等な独立した人格を有する個人=市民として尊重される社会の実現に向けて歩み始めることになりました。しかし、新しい憲法が誕生したからといって、それだけで一足飛びに誰もが個人として尊重される社会が実現することになったというわけではありません。すべての市民が個人として尊重される社会を実現するためには、そのことを抑圧するさまざまな障害を取り除くために、私たち一人一人がその実現に向けて不断の努力を積み重ねていく必要があります。
例えば、最近では日本学術会議の会員について、学術会議が推薦した会員の一部を政府が任命しないといった、学問研究の自由と学術会議の独立に対する侵害が平然と行われています。また、2024年10月に国連の女性差別撤廃委員会が夫婦別姓を選べる制度への法改正を行うよう4度目の勧告を行っていますが、いまだに選択的夫婦別姓は実現していません。これは、戦前の明治憲法のもとでつくられてきた旧い価値観が日本社会にいまなお残っていることを意味しています。
これでは、誰もが自由で平等な独立した人格を有する個人として尊重される社会が実現しているとは到底いえません。
このことに関連して、ここで触れておかなければならないことがあります。世界人権宣言に実効性をもたせるために、国際人権規約をはじめとする人権条約(子供の権利条約や女性差別撤廃条約、人種差別撤廃条約など)がつくられ、これらの人権保障に関する条約が国際人権法とよばれています。この人権条約に認められた権利を侵害された個人が国連などの条約の実施機関に直接訴え、人権侵害の救済を求めることのできる制度として個人通報制度があります。
この個人通報制度がなければ、国際人権法は実効性を欠き、絵に描いた餅になります。
しかし、日本政府は国際人権法で認められている個人通報制度に関する規定を批准していません。これでは、すべての市民が自由で平等な独立した人格を有する個人として尊重される社会とはいえないことが明らかです。
こうした状況を打開して、すべての市民が個人として尊重される社会の実現に向けて、私たちは市民の皆さんと共同して、さまざまな取り組みを進めていく所存です。今後とも皆さんのご協力とご支援を心からお願いするものです。
40年を振り返って
弁護士 中村 和雄
□弁護士になって
私が弁護士になり市民共同法律事務所に入所したのは、1985年4月です。事務所ができた1年後です。私は、弁護士なりたての時期に2つの大きな事件に係わらせてもらいました。1つは国鉄分割民営化にあたって行われた一連の国労・全動労差別事件です。全国の弁護士たちが労働委員会闘争や法廷闘争だけでなく各地で様々な市民運動の中心となりました。私も、京都での活動に参加させてもらうとともに、釧路の清算事業団の皆さんを激励するための活動にも参加しました。大阪駅前の安旅館で徹夜で研究者や弁護士、組合員とパンフレットの製作をしていたことも懐かしい思い出です。労働組合運動で鍛えられてきた組合幹部たちのたくさんの意見が交錯する労働組合闘争における弁護士の役割について、たくさんのことを学ばせてもらいました。
もう1つは、水俣病京都訴訟です。私は弁護士になって青法協京都支部の事務局に加えてもらいました。毎月行われている例会の5月のテーマは水俣病でした。熊本訴訟の原告である滋賀に在住の金崎月子さんが講演しました。金崎さんは、悲惨な被害実態を生々しく訴えた後、「あなた方は人権を擁護すると言っているが、私たち水俣病被害者を放置するのですか」と痛切に訴えました。私は、そのときまで水俣病は熊本の事件であり、被害者が関西にも移住していたことをまったく知りませんでした。そして、こんな大事件に関わることはとても無理だろうと考え、ただただ下を向いていました。すると、当時の事務局長である尾藤廣喜弁護士が「私たちは被害者を見捨てることは絶対ありません。」ときっぱりと回答したのです。
翌日から、水俣病京都訴訟提起に向けての弁護士活動が始まりました。まずは、原告の勧誘活動です。水俣在住の被害者の皆さんの親族の方々で大阪・京都・滋賀・神戸さらには名古屋に住む方々を訪ね歩いて医師検査の受診と訴訟参加を呼びかける活動です。見ず知らずの若造が突然「水俣病のことでお話が」と来るのです。手足の震えがでても誰にも相談せず、水俣出身であることは周囲には内緒でひっそり暮らしてきたのです。5軒訪ねてお話を聞いて頂ける方が1軒程度です。何も言われずにドアをぴしゃりと閉められました。6ヶ月かけてようやく5人の方が原告になって頂き第1次提訴をしました。その後も5人の方に原告になって頂き追加提訴を繰り返してきました。
私は、弁護団の中で最も若年だったので、支援の学生の皆さんと一緒に活動しました。学習会を企画したり、原告の皆さんのご自宅に訪問したり、水俣の現地調査に参加したりしていました。被害者原告にとって、学生たちは孫のような存在でした。そうした中で弁護士になった方々もたくさんいます。
□京都市長選挙候補者の思い出
2008年と2012年の京都市長選挙に多くの皆様の支援を受けて候補者として活動させて頂いたことは、その後の活動にも大きな糧となりました。出馬表明後は、街頭では5分から10分、会場では10分から20分程度の演説を何度も繰り返すのですが、当初強く指導されたことがあります。弁護士は、準備書面や法廷で、「原則はこうだ、例外はこうだ、この件はこんな理由から例外にはあたらない。」と説明します。私の演説もこうなっていたのです。政治の世界ではこれでは駄目なのです。例外は無視するのです。80%の原則は100%なのです。例外の説明は訴える力を削減しマイナスにしかならないのです。法曹の世界の科学的合理的な世界と大衆の心を掴む政治の世界は違うのです。この違いを身につけるのに時間がかかりました。そして、何度も何度も同じ事を繰り返し、どうしたら訴えに力が伴うのかを探求しました。落語に通ったり、ケネディやオバマの演説を聴いたりもしました。そして、何度も演説を繰り返していく中でどんどん接続詞や助詞が消えるようになりました。5年にわたる候補者活動はその後の弁護士の活動にとっても貴重な経験でした。政治の世界をはじめ多方面多分野の方々のものの見方、考え方の違いを認識しました。
□これから
人生70年、弁護士生活40年の節目にあたり、少しだけ過去を振り返ってみました。まだ、あと10年程度は若い皆さんと一緒に弁護士活動に励みたいと考えています。今後もよろしくお願い致します。
この15年を振り返って
弁護士 諸富 健
私は、2009年9月、弁護士登録と同時に市民共同法律事務所に入所しました。早、15年以上経過しました。この15年は、憲法運動を中心として取り組んできました。年2回の事務所ニュースにおいても、私が取り上げたテーマはほとんどがときどきの憲法課題です。
もともと、憲法・平和問題に関心があり、京都弁護士会憲法問題委員会、近弁連憲法問題連絡協議会、日弁連憲法問題対策本部に所属しています。自由法曹団京都支部でも憲法・平和PTに所属しています。
そうしたこともあり、人前で憲法をテーマにしたお話をする機会をいただくのですが、そのきっかけとなったのは、自由法曹団京都支部の憲法・平和PTで年1回は講師活動をしようという提起があったことでした。弁護士2年目で初めて、地元の9条の会に持ちかけて国会議員の定数削減問題についてお話ししたのですが、とても緊張したことを覚えています。
2012年4月、当時野党だった自民党が日本国憲法改正草案を発表し、その年の12月に政権交代が起こって自民党が政権に返り咲き。改憲に強い意欲を燃やす安倍晋三氏が首相に就任しました。日本国憲法の基本理念である立憲主義を破壊する内容を持つ自民党憲法改正草案が実現されるかもしれない、そういう危機感を抱いた当時2年目〜4年目の若手弁護士28名が2013年1月、「明日の自由を守る若手弁護士の会」(通称「あすわか」)を結成し、私もその一人に名を連ねました。あすわかが、気軽にお茶菓子をいただきながら憲法について学ぶ「憲法カフェ」を押し出したこともあり、学習会の講師依頼が爆発的に増えました。年間50件以上、お話しする機会をいただいたこともありました。
2014年7月1日に集団的自衛権を一部容認する閣議決定があり、翌2015年の通常国会には安保法案が上程されました。その年の4月に京都弁護士会の憲法問題委員会委員長に就任したこともあり、弁護士会として取り組む運動にも中心的に関わりました。京都弁護士会初の円山野外音楽堂での集会には約4,500人集まり、10時間マラソン街宣も行って100人以上の方にスピーチしてもらうということもありました。学生団体SEALDsや安保関連法に反対するママの会など、多くの市民が声をあげ、国会前には10万人を超える人が集まりました。同年9月19日に強行採決されてしまいましたが、私が初めて体感した大きな運動の盛り上がりでした。
ただ、政府・与党の暴走は止まりません。南スーダンPKO派遣部隊に安保関連法に基づく「駆けつけ警護」「宿営地共同防護」付与(2016年)、共謀罪法創設(2017年)、自 民党が自衛隊明記論を含む改憲4項目発表(2018年)、日本学術会議会員候補者6名任命拒否(2020年)、土地利用規制法成立(2021年)、経済安保法成立(2022年)、etc.
極めつけは、2022年12月16日に閣議決定されたいわゆる「安保3文書」です。反撃能力(敵地攻撃能力)の保有、5年間で43兆円の軍事費計上などが記され、ありとあらゆる分野で軍事偏重の方針が示されました。実際、これ以降、軍需産業支援法、軍拡財源確保法(2023年)、経済版秘密保護法(2024年)の制定をはじめ、防衛装備移転のさらなる拡張、南西諸島におけるミサイル基地化の促進、全国各地の自衛隊基地強靱化・弾薬庫増強、これに伴う軍事予算の大幅増額など、軍事分野の聖域化が加速しています。
フォローアップが大変なほどのスピードですが、しっかり学びながら、街宣やシンポジウム、学習会等で、「戦争する国」づくりの危険な動きを伝え、憲法が生きる平和な社会の実現を訴える活動を続けて行きたいと思います。
最後に、私が憲法関連で今一番力を入れている裁判を紹介します。2024年3月29日に奈良地裁に提訴した自衛隊名簿提供違憲訴訟(RYU裁判)です。安保法制成立以降、自衛隊は人員不足が恒常化しており、募集に力を入れています。そうした背景もあり、自治体が保有する18歳や22歳の個人4情報(氏名、生年月日、性別、住所)を紙や電子データ等で提供するよう求める動きが強まっています。自衛隊は、こうして入手した個人4情報に基づいて募集案内を送付するのですが、それを受け取った奈良市の現役高校生が原告になることを決意してくれました。国と奈良市を被告として国家賠償を求める全国初の裁判で、北は北海道から南は福岡まで13名の弁護士が代理人となっています。ホームページ(https://jieitaimeibo-iken.net/)で裁判の動向を随時お知らせしていますので、是非チェックしてみてください。
裁判官が主人公のリーガルドラマ
「ALL RISE(オールライズ)」
弁護士 分部 りか
私は海外リーガルドラマ好きで、これまでも皆さんにご紹介してきました。今回は日本では珍しい裁判官を主人公にしたリーガルドラマです。
All RISEという言葉は、裁判官が法廷に入廷する際に、立ち上がる際に、アメリカの法廷で、発せられる言葉です。「起立」と同義です。
日本の裁判官は、最高裁判所が、司法修習生の中から、一定数の裁判官を採用し、以後、彼らはずっと裁判官として勤務します。定年退職(アメリカには定年制はありません)があり、多くが定年まで働きます。定年後や途中退職して弁護士登録をすることもできます。日本でも弁護士から裁判官に任官する制度はありますが、非常に少数です。アメリカの裁判官は、検察官や弁護士から任命され、再任にあたっては一般市民からの選挙による州が一定数あります。日本の法曹からすると、選挙による選出で裁判官の独立が守られるのかととてもいぶかしく思える点です。地元の弁護士事務所が裁判官の選挙活動をサポートするケースもあるとのこと。
さてドラマの主人公は、ローラ・カーマイケル。彼女は、検察官出身のアフリカ系アメリカ人の女性。ロースクール時代の親友の検察官、公設刑事弁護人の弁護士、書記官、速記官、同僚裁判官、上司裁判官らとのかかわりの中で、主に刑事裁判という場面で、裁判官としての中立や独立、裁判官としてのキャリア、被差別人種に属する彼女の、裁判官としての立ち振る舞いの社会への影響等をテーマにシリーズが展開します。また、司法取引と陪審制度の国、アメリカでの、独自の刑事司法問題も取り扱っています。
私がアメリカの、とりわけリーガルドラマが好きなのは、日本の司法制度との比較で、日本の制度は実はそれほど悪くないのではないかと思える点があること、そして日本に 足りないジェンダーの視点や社会問題の視点が鋭く織り込まれ、考えさせられることが多いからです。アメリカという国が銃社会であり、根強い人種差別が残る国であるという点は、米ドラマを視聴するときに、常に思い起こさせられる事柄であり、その点も日本との比較で常に考えさせられます。今後も皆さんに紹介したいリーガルドラマに出会えることを期待して、動画配信サービスを継続していきます。今後もよろしくお願い申し上げます。